中共 殺戮の歴史 後編

当ブログ記事、≪中共 殺戮の歴史 前編≫の続き。
この記事の前編は重要で必見です。是非、前編から見てください。

[大紀元 『共産党についての九つの論評』
【第七評】中国共産党の殺人の歴史]
から転載



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             中国共産党の殺人の歴史 ≪後編≫
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三 党内の残酷な闘争

共産党は道義による結合の団体ではなく、党の本性によるものである。特に最高指導者に対する党員の忠誠心の高さが、非常に重要視される。よって、党内でも殺人事件が必要となる。最高独裁者が誰かを死なせたい時、その人の死に方が如何に悲惨であるかということを、周りに残った人達に、その恐怖を味合わせ、戒めとする。

従って、共産党の党内闘争も非常に有名だ。ソ連共産党で連続二度務めた前政治局委員の中で、先に亡くなったレーニン及びスターリン本人以外は、全ての委員は処刑され又は自殺した。当時、五人の元帥の内、三人が銃殺刑で処刑された。五人の集団軍司令官の内、三名が銃殺刑で処刑された。二等軍団及び師団の司令官10人が全て銃殺刑で処刑された。そして、85人の軍司令官の内、57人が処刑され、195人の師団長の内、110人が処刑された。

中国共産党も、常に「残酷闘争、無情な仕打ち」を鼓吹している。このような殺人闘争は、単なる党以外の者に対するものだけではなく、江西省にいた頃から中国共産党は、既にAB団を殺害している。[14] 殺人闘争の末、戦争の出来ない者しか残らなかった。延安市にいた頃は「整風」(思想と活動態度を正す)を行った。政権を打ち立ててから高崗、饒漱石、胡風、彭徳懐を粛清した。文化大革命になった時に、党内の古参はほとんど粛清され、誰も残っていなかった。中国共産党の歴代の総書記は、誰一人良い結末を送る者はいない。

中国の国家主席を務め、一度は中国国内の第二番手の地位にいた劉少奇は、このような悲惨な状況の中一生を終えた。彼の70歳の誕生日に、毛沢東と周恩来は特別に汪東興を派遣し、劉少奇にラジオをプレゼントした。彼に第八回の十二中国全国人民大会の公報、「反逆者、敵に内通する人、労働運動の裏切り者にされた劉少奇を永遠に共産党から除籍し、彼と彼の仲間が党及び国を裏切った罪状について、清算し続ける」を聞かせるのが目的であった。

劉少奇は、精神的に瞬く間に崩れ、病状は悪化した。彼は長期にわたりベッドに縛り付けられ固定されていたため、首、背中、お尻、踵は床ずれとなり、痛みと共に膿が出ている状態であった。彼は痛みに耐え切れず、側にいる人の衣服や腕に強く掴まるようになった時、彼らは劉少奇の手に硬質ポリ容器を握らせた。彼が世を去った時、二つの硬質ポリ容器は瓢箪の形になっていた。

1969年10月、劉少奇は、既に全身がひどく爛れ、生くさい臭いを放っていて、枯れ木のように痩せこけていて、息も絶え絶えとなっていた。中央特派員は彼に風呂も許さず、衣服も換えさせなかった。彼を素っ裸にし、蒲団詰めにして飛行機で北京から開封市へと送り、トーチカの地下室に監禁した。彼が高熱を出しても薬を与えなかった。その上、医師や看護士を彼の側から全部移動させた。劉少奇は臨終の際、まったく面影もなく、ぼうぼうとした白髪は二メートルもあった。二日後の夜半、急性伝染病患者として火葬処理された。使用した蒲団、枕など全ての遺物は共に火葬され、何も残されなかった。劉少奇の死亡書には次のように書かれていた『氏名:劉衛黄、職業:無職、死因:病死』。

中国共産党は国家主席まで死に至るまで迫害する、しかも死因ははっきりしない。


四 革命を輸出し、海外で殺人を行う

中国共産党は国内、党内で殺人を繰り返し、そのやり方を新しく変えたほか、更にこの種の革命を輸出し、海外で華人を虐殺することにも参与した。カンボジア共産党が最も典型的な例である。

ボルポトはカンボジアで政権を4年間維持しただけだが、1975年から1978年の間、人口800万人足らずの小さい国で200万人が虐殺された。その中に二十数万人の華人も含まれている。

ここではカンボジア共産党の罪状を論じないが、カンボジアと中国共産党との関係については語る必要がある。

ボルポトが最も崇拝するのは毛沢東である。1965年より彼は四度も中国を訪ね、毛沢東に教えを受けた。1965年11月、ボルポト氏は中国を訪問し三ヶ月間滞在した際、既に陳伯達と張春橋などから「武力で政権を打ち立てる」「階級闘争」「プロレタリア階級独裁」などの理論と実践を学んだ。これらの理論と実践は、彼がその後カンボジアで政権を奪取、建国、国を治める依拠となった。帰国後、彼は党の名称をカンボジア共産党と改名し、中国共産党を真似、農村から都市を包囲する攻め方で、自らの革命拠点を造った。

1968年、カンボジア共産党は正式に軍隊を作った。1969年末現在、軍隊の人数は、多くみても3,000人程度であったが、1975年、彼がプノンペンを占領する前、なんと「完全装備で、勇敢に戦う」8万人の武装軍隊まで発展した。これは完全に中国共産党の後援でできたものだ。王賢根氏の著作『ベトナムを援助、米国に抵抗の実録』[15]によると、1970年だけで、中国はボルポト氏に対して三万人の武器装備を援助した。1975年4月、ボルポトはカンボジアの首都を攻め落とし、二ヵ月後に中国共産党の指示を得るために、北京を訪ねた。赤いカンボジアでの殺人は、中国共産党の理論と物資の支援がなければ、単独では実行できないことが歴然と判明したのである。

ここで一つの例を挙げる。シアヌーク殿下の二人の息子が、カンボジア共産党に殺害された後に、周恩来の一言で、カンボジア共産党はおとなしくシアヌーク殿下を北京へ送った。カンボジア共産党は、災いを残さないように、殺人する時には腹の中の嬰児まで殺すのが、周恩来の言葉には、文句も言わずに直ちに従ったのである。

しかし、周恩来の一言でシアヌーク国王を救えたにもかかわらず、カンボジア共産党が二十数万人の華人を虐殺する際、中国共産党は一言も発しなかった。当時、中国側は大使館に救いを求めに来た華人を全く無視し、何の行動も起こさなかった。

1998年5月、インドネシアで起きた大規模な虐殺事件、華人を強姦した事件に関しても、中国共産党はひたすら沈黙していた。援助の手を差し伸べなかっただけでなく、中国国内で懸命に情報を封鎖した。まるで海外の華人の死活問題は、中国政府と全く無関係であると言う対応の仕方で、人道的な援助は何もしなかった。


五 家庭壊滅

中国共産党は、政治運動を起こす度にどれほどの人々を殺害したか、正確な数字は既に集計できなくなった。地域、民族、言語の隔たりがあるために、民間の資料は不足しており、統計もない。中国共産党は、なお更自ら墓穴を掘るようなことはせず、もちろん死亡者数の政府筋の統計はない。このように、中国共産党は自身の歴史については常に「内容は粗く適当にするのがよい、細かいことはしない」というやり方である。

中国共産党が壊した家庭の数については、更に確認できない。一人が死亡すれば、家庭崩壊になる場合もあるし、あるいは一家全員が、次々に死んでいって消滅する例もある。たとえ家庭の中に死人が出ていなくても、強引に離婚させられたり、親子関係を完全に断ち切られたり、虐待されて身体障害者になったり、迫害を受けて気が狂ったり、虐められて重い病に倒れて早死にしたりなど、全てが家庭にとって悲劇である。これらに関する数字はとても集計できない。

日本の読売新聞の報道によれば、中国は人口の半分以上が、中国共産党の迫害を受けたことがあるとされていた。もしそうであれば、中国共産党が破壊した家庭は少なくとも億以上の数に上るであろう。

張志新はルポにより津々浦々まで知れ渡る人物となった。多くの人は、彼女が残忍な酷刑を嘗め尽くし、輪姦と精神的な虐待を受けて、最後は精神異常になった時に喉を切られ、銃殺された事を知っている。しかし、この悲劇の背後に更なる残忍な物語が残されたことについては多くの人は知らない。…『死刑囚の家族学習班』。

張志新の娘である林林さんは、1975年初春の頃に起きたことを回想した。「瀋陽裁判所から来た人が、私に向かって大声で:君の母親は非常に頑固で、反発的で、改めない。偉大なリーダー毛主席に反発し、無敵である毛沢東思想に反対し、毛主席のプロレタリア階級路線に反対している。罪に罪を重ね、政府は刑罰を更に追加することを考えている。極刑にする場合、あなたはどんな態度を示すのか?」…私は驚いて、どう答えればいいのか分からずに放心していた。心は瞬く間に乱れてしまった。しかし、冷静を装い、涙が出ないように我慢した。父が、決して他人の前で涙を見せるな、そうでなければ、母親と別の態度であるということを区別できなくなるからだ、と言われたことがあった。父親は、私の代わりに『そのようなことが確実であれば、政府が望むように処理して構わない』と答えた。裁判所の者に『極刑後、遺体は持ち帰るのか?』と聞かれ、私は頭を下げたまま言葉を発せなかった。又も、父親が代わりに『我々は何も要らない』と答えた…。父は私と弟を連れて、県の宿泊先を出て、風雪の嵐の中でよろよろと歩いて家に戻った。ご飯は炊かず、父は残った唯一の饅頭を二つに分けて私と弟にくれた。『早く食べて早く寝るように』と父が言った。私は静かに床の上に横になっていた。父は一人で、腰掛に座って、明かりを見つめてぼうっとしていた。父は私と弟が寝たと思い、ゆっくり起き上がって、瀋陽の家から持ってきた箱を開け、母の写真を取り出して見ている内に、父の目から涙がこぼれ落ちた。私はベッドを飛び降りて、父の胸へ飛び込んで号泣した。父は『静かに、隣近所に聞こえてしまう』と呟いた。私の鳴き声で弟も起きた。父は私と弟を自分の胸に強く抱きしめた。この夜、私達はどれほどの涙を流したのか分からなかった。でも決して大声で泣くことはなかった」。[16]

某大学の教師は、幸せな家庭を持っている。しかし、右派を改革した時、彼の家庭は災難に見舞われた。彼の妻は反右派の時代に自分の恋人が右派にされ、流刑に処され、僻地へと飛ばされた。若い彼女は、彼と共に暮らせないので、他の人と結婚した。そして、若い時に分かれた恋人が、苦難を嘗め尽くして、やっと故郷に戻って来た。数人の子供の母親である彼女は、過去においての自分自身の薄情と、彼に対する裏切りの行動を悔やんで、良心に従い、自分が作った罪の償いをするために、今の夫と離婚することを決意した。しかし、突然の異変は彼女の夫――55歳の大学教師にとって、とても耐え難いことであった。夫はそれ故に精神異常になった。彼は素っ裸で、自分の居場所を捜し求めて外で徘徊するようになってしまった。彼の妻は結局夫と子供のもとを去った。共産党が作った別離の悲劇は、解読のできない方程式である。ある引き裂きの悲劇を、別の引き裂きの悲劇に取って代え、延々と続く社会にとっての不治の病だ。

家庭は中国社会の基本単位である。伝統文化が共産党文化に対抗する最後の防衛線である。それ故、家庭破壊は中国共産党の殺人歴史に於いて、最も残虐で悪辣な所行である。

仮にある人が批判や攻撃対象になった時、中国共産党はその人にとっての資源を社会から全部断ち切る。その人は直ちに生活の危機に陥り、社会の人々から白い目で見られ、差別され、尊厳は剥奪される。只、このようにされた人々は全て冤罪を負わせられた人達である。自然と家庭が彼らにとって最も安心のできる避難場所になる。しかし、中国共産党が取っている連座政策は、家族が互いに慰めることが出来ない。そうでなければ、家族も攻撃対象となってしまう。張志新氏はこのように強制的に離婚させられたのだ。大部分の人にとって、身内の背信行為、密告、反発、告発と批判闘争は、まさに正常精神を支える最後の砦が、押しつぶされることであり、多くの人がこのように自らの命を断ってしまった。


六 殺人手段及びその結末

(一) 共産党殺人の理論指導

共産党は常に自身のことを吹聴し、創造的にマルクス・レーニン主義を発展させたと自己宣伝するが、実は共産党は古今近来国内と海外のあらゆる邪悪なものを創造的に発展させたのだ。共産主義の大同思想で民衆と知識人たちを騙し、工業革命を利用して信仰を打ち砕き、徹底的に無神論を広げた。共産主義で私有制度を否定し、レーニンの暴力革命理論と実践で国家を統治すると同時に、中国文化の伝統と背理した最悪の部分を結び合わせた。

中国共産党は自分で発明したプロレタリア階級独裁下にある「革命」と「継続革命」の理論及び手段をもって世界を改造し、共産党の独裁を保障させている。その理論はプロレタリア階級独裁下の経済基礎及び上層建築の二部に分かれている。経済基礎により上層建築が決まり、一方、上層建築はまた経済基礎に反作用をしている。従って、特に党の政権を含む上層建築を強化するためには、必ず経済基礎から革命を行わなければならない。それには次のことが含まれる。

1.地主を殺害して農村の生産関係[17]を解決

2.資本家を殺害して都市の生産関係を解決

上層建築に於いても殺人は繰り返されている。目的は意識形態上の絶対的独占を保障させることである。それには次のことが含まれる。

1.知識人が党に敵対する政治的な態度をとる問題を解決する

中国共産党は長期に亘って「知識人の思想改造運動」を起こし、資本家階級の個人主義、資本家階級思想、超政治観点、超階級思想、自由主義などなどを批判した。洗脳し、心を殺して知識人たちを堕落させる。知識人が持っている自由思想及び優良な品格、例えば「正義のために公平なことを言う」。「正義のために身を捨てる」。「貧賤でも志を変えない、武力や勢力でも屈服させることはできない、財産や地位に惑わされない」。[18] 「先に国を憂い、民を憂い、国も民も安泰としてから自分を楽にする」。[19] 「天下の興亡については、国民の一人一人に責任がある」。[20] 「君子は成功すれば天下も良くなり、出世しなければ個人の道徳修養のみに専念する」[21]のような伝統は一掃された。

2.中国共産党が文化及び政治における絶対的リーダー権を確立するため、文化大革命で虐殺を行った

党内から党外まで群集運動を引き起こす。文学、芸術、観劇、歴史、教育などの領域から始めた。先ずは全国で何人かを虐殺する。例えば「三家村」[22]、劉少奇、呉(曰含)、老舎、翦伯賛などの有名人をやり玉に挙げ、「党内の一部分」、「軍内の一部分」へ広げ、全人民が互いに殺害しあうまで発展させた。武装闘争は肉体を消滅し、文化闘争は魂を消滅させる。それは共産党操縦下の混乱時期であり極度に荒々しい時期でもあった。人間の悪の部分が共産党党内の危機に触発され、最大限まで引き伸ばされた。個々の人が「革命の名義」を使って、「共産党及び毛主席の革命路線を護衛」の名目で任意に人を虐殺することができる。これは正に、全人民の人間性を絶滅させる空前絶後の訓練である。

3.文化大革命以降の社会に於ける民主の呼びかけを解決するため、中国共産党は「六四」天安門事件で人々を銃殺した

軍隊が公に国民を虐殺することはこれが最初である。国民が汚職行為に反対し、役人と商人の結託に反対し、制度の腐敗を反対するために上げた声、報道の自由、言論の自由、結社の自由の呼び声を弾圧するためである。軍隊は互いに牽制させ、軍が人民を憎むようにさせるために、中国共産党は軍隊の車が焼かれ、兵士が殺される場面をまででっち上げた。そして、人民軍が群集を虐殺する悲惨な事件を引き起こさせた。

4.異なる信仰の人を虐殺

信仰領域は中国共産党にとって最も重要なものだ。中国共産党の歪んだ理論と邪説が世を暫く騙すようにするため、中国共産党は政権を取った初期からあらゆる信仰体系を消滅し始めていた。新しい時代に於ける精神的信仰―――法輪功(ファールゥンゴン)の修煉者達に対し、中国共産党は再び虐殺用の刀を持ち出した。修煉者は、「真・善・忍」に基づき、社会において「善い人」になることを目指している。その善良さにつけこみ、「悪いことはしない」「暴動や社会を不安定にさせることはしない」ことをいいことに、修煉者らへの弾圧を重ね、更に他の全ての信仰団体をも消滅させた。今回は中国共産党の首領江沢民が、自ら先頭に立ち殺人を指示した。

5.情報隠滅のために殺人

真実を知る権利は、中国共産党のもう一つの弱点だ。中国共産党は情報を封鎖するために人を殺す。過去において「敵のラジオを盗み聞き」すれば、牢獄行きの罪になる。しかし、今はテレビに真相を伝える割り込み放送に対しては、「その場で殺せ」の秘密指令が出されている。劉成軍さんは、この理由で酷刑を受け虐待されて死亡したのだ。中国共産党は、ゲシュタポのような組織610オフィス、警察、公安、検察、裁判所及び膨大な警察ネットシステムを利用し、全ての群集の動きを監視している。

6.私利私欲のために人々の生存権を剥奪

共産党は、実は政権を手放せないのが問題である。それ故、継続的革命論を唱え続けたのだ。現段階では、中国共産党の汚職、公金を着服するなどの内部腐敗は極まっている。そして、党の絶対的政権と国民の生存権を争う問題までに発展している。国民が法律の範囲内で権利を行使する時に、共産党は又もや暴力を使い、残虐な「リーダー潰し」を行っている。中国共産党はこのために既に百万人の武装警察官を用意している。「六四」天安門事件の時、正規軍を投入したが、今では武装警官による殺人の準備をしている。国民に活路がなくなった時、中国共産党が自ら破滅へ歩む時である。その政権は既に草や木まで敵兵に見えるほど、ひどく怯えていて、情勢が非常に不安定となっている。

上述を総合して、共産党は本質的に邪悪な霊体で、絶対的に人々を制御するために一時の変化があっても、共産党は過去に於いて人を虐殺し、現在に於いても人を虐殺し、将来に於いても人を虐殺することがはっきりと分かる。共産党の歴史は変わらないものであるということが分かる。

(三) 状況に応じ異なる殺人手段を使用

1.世論先行

中国共産党はあらゆる殺人方法を用いた。異なる時代には異なる殺人手段がある。大多数の殺人は「世論先行」である。共産党は常に「殺人しなければ民衆の怒りは抑えられない」と言っているが、まるで国民の要求に応じて殺人したようである。実質上、「民衆の怒り」は、中国共産党が煽り出したものであった。

例えば“白毛女”の劇は、民間の伝説物語を改竄したものであった。劇中に登場する地主“劉文彩”は実在するが、地代を厳しく徴収したり、水牢の拷問などもすべてでっち上げられたもので、人々に地主を恨むように「教育」することが目的だ。この種の「敵」を妖怪化したやり方は今までもずっと用いられて来た。国家主席でさえ妖怪化することが出来る。法輪功(ファールゥンゴン)に対しても「天安門焼身自殺事件」をでっち上げ、民衆の法輪功(ファールゥンゴン)に対する敵意を引き起こした。その後、法輪功(ファールゥンゴン)の学習者達に対して、ジェノサイド(集団虐殺)の方法で迫害を加えた。共産党はこのような殺人方式を改めることなく、情報伝達技術の発達に連れ、ますますエスカレートしている。以前は中国人のみを騙したが、今は外国人までも騙す。

2.群衆を煽動し殺人を教唆する

共産党は自ら殺人を起こすほかに「群衆を煽動し、殺人を教唆する」ことをしている。もし初期において規則法律があっても、群衆の殺人がエスカレートした時には、取り締らなくなる。例えば、「土地改革運動」の時に、一土地改革委員会が地主の生死を決めることが出来るのだ。

3.先ず魂を殺し、そして肉体を殺す

殺人のもう一つの手段は「先ず魂を殺し、そして肉体を殺す」である。過去の歴史に於いて最も残虐な秦の王朝でも、精神を虐殺することはなかった。しかし、中国共産党は、人にそう言う正義のために、粛然として死に臨むような機会を与えない。「白状した者は寛大に、抵抗する者は厳重に処分する」、「頭を下げて罪を認めることが唯一の生きる道」しかない。必ず自身の思想と信仰を放棄させ、犬のように何の尊厳もない状態で死なせるのだ。そうしなければ、烈士のように正義のために死ぬ気概は、他の人を鼓舞してしまう。卑しい死に方こそが、中国共産党が達成したい、未来の人達に対する「教育」の目的である。中国共産党が現在残虐極まる迫害を法輪功(ファールゥンゴン)に加えている理由が、法輪功(ファールゥンゴン)は、命より信仰を重んじるからである。彼らの尊厳を打ち砕けない状態で、中国共産党は彼らの肉体に虐待の限りを尽くす。

4.暴力と甘い餌(アメとムチ)を施しながら殺人する

殺人の過程において、中国共産党は「ニンジンと棍棒」、暴力と甘い餌を同時に用いる。共産党は常に「ほんの僅かな部分を打撃する」と言う。5%の比率に例え、「大多数の人」が常に良い人で、常に「教育」の対象になる。この種の教育は「恐怖」と「保護」の二つが使い分けられる。「恐怖」とは、共産党と対立すれば必ず悪い結末を迎え、打撃対象の人々とは距離を持つように戒められる。「保護」とは、共産党の信頼を得られれば、党の味方であり、安全が確保され、重用もされる。もしかしたら、何かの勝利品をも分けてもらえる。林彪は「今日は少し、明日も少し、合わせればたくさんになる」と言った。しかし、一つの運動を幸いにも安全に避けられた人は、往々にして次の運動における犠牲者となるのだ。

5.「芽の内に摘み取る(芽生えた時に消滅させる)」殺人モデルと「隠蔽された違法殺人」の殺人モデル

今のところ中国共産党は「芽の内に摘み取る」、「隠蔽された違法殺人」という殺人モデルをさらに発展させている。例えば、各地での労働争議や農民の抗争が増えつつあり、中国共産党は「芽の内に摘み取る」の原則に基づいて、その都度「リーダー」を逮捕し、重刑を加える。また、人権と自由が世界の共通認識であり、時流となっているので、中国共産党は決して法輪功(ファールゥンゴン)学習者に対して死刑を下さない。しかし、江沢民の「殴打して死なせても当たり前」の教唆と放任の下、各地で法輪功(ファールゥンゴン)学習者が、拷問によって死亡した悲惨な事件が頻繁に起きている。また、憲法では公民が陳情する権利を有することに対して、中国共産党は私服警察、甚だしくに至ってはヤクザ、チンピラを雇い、陳情する公民を「阻止」し、逮捕し、強制送還している。更に陳情する人々に対して、強制労働させることまで起きている。

6.見せしめにする方法の殺人

張志新、遇羅克[23]、林昭[24]などを迫害。

7.殺人はしないと言う口実で殺人事件を隠蔽

国際的に影響力のある人に対し、中国共産党は往々にして弾圧に留まり、虐殺はしない。影で影響力の少ない人達を虐殺するのが目的である。例えば、反革命を鎮圧する時に、国民党の将校、龍云氏、傅作義氏、杜聿明氏などは虐殺されなかったが、それより以下の官員及び兵士がほとんど虐殺された。

長期にわたる殺人は、人々の魂を異なるものにしてしまった。現在、中国国内では多くの人々が殺気立っている。「9.11」テロ事件が起きた時、中国大陸のネット上では何と、喝采が起きた。超限戦を鼓吹することも絶えなかった(超限戦とは中国空軍の大佐が唱えた現代の戦争に対する新しい概念で、あらゆる限定と限界を超えた戦争を意味する。貿易、金融、テロ、ハイジャック、サイバーテロなどすべての場が戦場になるため、民間人をも平気で巻き込む恐ろしい戦争形態である)。この状態は考えただけでもぞっとする。


結び

中国共産党が情報封鎖しているため、我々は共産党の統治期間中、人々が迫害され死亡した確実な数字は分からないが、上述の例だけでもそれぞれの運動で少なくても6千万人が死亡した。その他、中国共産党は新疆、チベット、内モンゴル、雲南省などの少数民族に対してもの虐殺を行った。しかし、それらに関連する資料の入手は更に難しい。『ワシントンポスト』の統計によれば、中国共産党が迫害した人々の数は8千万人余りに達している。[25]

迫害致死した人のほか、身体障害者になった人、精神異常になった人、怒りで亡くなった人、恐怖によって死亡した人、ストレスで亡くなった人なども数多くいる。勿論、それについても確実な数字は分からない。一人の死はその人の家族にとって、骨身に染みる、忘れることのできない痛ましい悲劇である。

日本の読売新聞は、一度このような報道をした。中国共産党は全国29の省及び市に対して、次のことを調べ、統計を纏めた。文化大革命に影響を受けた人口は6億人で中国人口の半分を占めている。[26]

スターリンは次のように話したことがあった。「一人の死は悲劇だが、百万人の死は只の数字だ」。李井泉は、四川省において、どれほどの人々が餓死したことを聞かされても、平然として、次のように語った。「どの時代でも人は死んでいるのだ」。毛沢東は「奮闘をすれば必ず犠牲も出る。人が死ぬと言うことはよくあることだ」と言った。これが無神論者である共産党の生命に対する態度である。スターリンは、2千万人を迫害し殺害した。これは前ソ連人口の10分の1を占める。中国共産党は8千万人を迫害し殺害した。これも、中国人口の約10分の1を占める。カンボジア共産党は200万人を虐殺した。カンボジア人口の4分の1を占める。現在の北朝鮮では餓死した人の数は100万人を超えたと言われている。これらは全て共産党が作った罪悪である。

邪教は人を殺して、その人の血で邪霊を祭る。共産党は設立時から殺人を利用し、外部の人を殺せなければ、内部の人を殺す方法で彼らの「階級闘争」、「路線闘争」の邪説を奉った。更に自分達の総書記、元帥、将軍、部長などまでも、邪教の祭壇へと差し出し、生贄として奉るということまでもやってしまった。

多くの人は、中国共産党に対して、彼らの殺人は以前に比べ控えられているのだから、改善するために時間を与えるべきだと言っている。しかし、例えば一人の人間を殺害すれば、直ちに殺人犯とされる。広範囲で言えば、虐殺は中国共産党が、テロリズム的統治の目的を達成するための手段の一つである。従って、虐殺する人の多さは需要によって調整することが出来る。それは「予測不可能」と言うことで表すことが出来る。人々にとって、恐怖をあまり感じない時、多くの人を虐殺すれば、恐怖心を与えることができる。元々人々が恐怖感を非常に感じている時、小人数の虐殺だけでも、十分にテロリズム的なコントロールが出来る。そして、人々は知らないうちに怯えている時、中国共産党は虐殺するのだと掛け声を掛けるだけで、人々に恐怖感を与えられる。中国共産党のテロリズムに対して、条件反射する際、中国共産党は虐殺と言う言葉すら出す必要もない。政府が大批判することを喧伝するだけで、人々の心の底に潜んでいる恐怖感を蘇らせることが出来る。

人々の恐怖感が薄れてくれば、中国共産党は直ちに虐殺の調整を図る。従って、中国共産党にとってどれ位の人を殺すのかが目的ではなく、重要なのは、殺人の一貫性を維持することである。中国共産党は今でも全く温かい心は無く、殺人の刀も下ろした訳ではない。人々が奴隷化されただけである。一旦、人々の政府に対して求めるものが、中国共産党の容認する限界を超えると、中国共産党は決して容赦はしない。

また、まさに恐怖を維持するために、任意に虐殺することも最も多く使用される手段である。これまでの大規模な虐殺では、わざと虐殺の対象、罪状及び刑罰を明確にしていないため、多くの人々は自分達がこれからもその対象にされないように、自ら「安全な区域」に身を引く。この「安全な区域」の区画範囲は、時には共産党が定めたものよりも狭いことがある。これも、何故その都度人々は「左派に傾くことがあっても、決して右派には傾かない」ことの理由である。毎回の運動の「拡大化」は、その都度人々が、自分を守るために自主的に条件を厳しくしたのが原因である。運動の対象が下の階層へ行くに連れ残虐さも増す。このような社会全体に行き渡る恐怖の自動的な増幅と効果は共産党の任意の虐殺に由来するものである。

長期にわたる虐殺の歴史の中で、中国共産党は変態と化した連続的殺人狂人に変異した。虐殺を通じ、自らがあらゆる大権を手に持ち、生殺与奪が出来る変態的快感を満足させる。虐殺を通じ、自らの内なる怯えを緩和させる。絶え間なく続く虐殺を通じ、今まで虐殺したことによって生まれた憎しみと不満を弾圧する。今日に至って、中国共産党は多くの人民を殺害した累々たる血生臭い罪悪について、既に善処するすべがない。故に、共産党は自分が生きている最後の最後まで、弾圧と独裁を実行し続ける。たとえ、一時に「殺人、名誉回復」などのモデルを採用して惑わすようなことがあっても、共産党の血を好む本質は一度も変わったことはない。もちろん、将来も変わることはない。


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[14] 1930年、毛沢東は共産党支配化にある地域において更に自分の権力を集中させるため、党に対して江西省にいる何千人もの党員、紅軍戦士、無辜の民衆を殺すようにという命令を下した。詳しくは:
Chinese: http://kanzhongguo.com/news/articles/4/4/27/64064.html

[15] 王先根(Wang Xiangen)著「ベトナムを援助、米国に抵抗の実録」 (北京: International Cultural Publishing Company, 1990) 

[16] 労改基金会2004年10月12日報告:

[17] マルクス(Marx)が社会階級を分析するために用いた三つの工具(生産用具;生産様式;生産関係)の一つ。生産関係(Relations of production)は生産用具を擁する者とない者との関係を指し、例えば地主と農民、あるいは資本家と労働者間の関係である。

[18] 「孟子」第3集 Penguin Classics series, D.C. Lau. 翻訳

[19] 範仲淹(989-1052) -有名な中国の教育者、文筆家、北宋の高官。この言葉は彼の有名な散文詩、“登岳陽楼記”からの引用。

[20] 顧炎武(Gu Yanwu)(1613-1682の年)著、清朝早期の著名な学者。

[21]「孟子」第7集Penguin Classics series, D.C. Lau.翻訳。

[22] 「三家村」は1960年代の3人の文化人、呉晗、鄧拓、寥沫沙のペンネームである。彼らは新編歴史劇“海瑞の罷官”の著者であり、毛沢東はこの劇を彼と彭徳懐の関係を風刺した政治劇だと考えた。 

[23] 遇羅克は人権派であり文筆家。文化大革命の初期、中国でたくさんの人が殺害され、遇羅克は長編の論文「出身論」を発表し、人権が無視された血統論に対して猛烈な批判を展開し、人々の支持を得た。そのため、文革の執行部に逮捕され、1970年処刑された。

[24]1957年、北京大学マスメディア学部の学生林昭は「右翼」のレッテルを貼られた学生に同情し、正義を主張したため、長期的に監視された。その後「反革命集団を組織した」という罪名を押し付けられ、獄中で様々な残酷な拷問を受け、1968年密かに殺害され、遺体も消滅された。

[25] http://www.laojiao.org/64/article0211.html より引用。(中国語)

[26] 「宋美齢の廖承志への公開状」(1982年8月17日)から引用しました。
出所:http://www.blog.edu.cn/more.asp?name=fainter&id=16445 (中国語)

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ソース: 大紀元 『共産党についての九つの論評』

【第一評】共産党とは一体何ものか
http://www.epochtimes.jp/editorial/9ping-1.html

【第七評】中国共産党の殺人の歴史
http://www.epochtimes.jp/editorial/9ping-7.html

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Link:

中共 殺戮の歴史 前編
http://ochimusya.at.webry.info/200912/article_14.html

輝かしい中国の歴史
http://ochimusya.at.webry.info/200912/article_13.html



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