白人の侵略から免れた日本
アフリカとアジアは、16世紀以降、世界を席巻したスペインとポルトガルの侵略合戦により植民地化され、19世紀末から20世紀には、日本とタイを除く、殆どのアジア諸国は、白人国家によって侵略されていた。
またコロンブスは、実は黄金の国ジパング(日本)を目指し、大西洋周りで航海に出た際に、未発見のアメリカ大陸に漂着したと言われている。
多くのアジア諸国が白人国家に奴隷・植民地化されていったにも関わらず、なぜ日本だけが白人からの侵略を免れることができたのか?
今回も、清水馨八郎著の『侵略の世界史』から興味深い箇所を引用してみよう。
=============================================================
侵略の世界史 (P220 ~ P223)
=============================================================
なぜ日本一国が、侵略を免れたのか
19世紀の半ば、白人の世界侵略は、アフリカ、中南米、フレア、太平洋地域を獲り尽くし、残りは極東アジアのみとなっていた。
アメリカは太平洋を東から西へと侵略の手を伸ばし、ハワイ、フィリピンをすでに手にしていた。
ロシアは沿海州まで獲得し、日本海を隔てて、日本に向き合うところまできた。
英仏はすでに中国の分割を開始していた。
日本、朝鮮、中国、満州をどこが獲るか、興味はその一点にかかっていた。
1853年、ぺリー艦隊の浦賀来航は、こうした中で起きた。
近世500年において、非白人の国のほとんどすべてが、白人の植民地に組み込まれていった中で、極東の小国日本のみが、なぜ結果的に独立を保ち得たのか。
日本列島はヨーロッパから西回りで来ても、東回りで来ても、最も遠い国、だから侵略を免れたとみるのは充分な解釈とは言えない。
コロンブスのアメリカ大陸到達(1492年)から、わずか50年後、ポルトガル船が早くも種子島に漂着(1543年)している。
スペインがインカを滅ぼしたように、日本を抹殺しようとすれば、決して不可能ではなかったはずだ。19世紀の問題を考える前に、16世紀にさかのぼって第一回の危機について考えてみよう。
鉄砲製造で、たちまちのうちに欧米を凌駕した日本人
スペインのザビエルがキリスト教の布教のため鹿児島に来日したのは、鉄砲伝来から、わずか6年後の1549年であった。
16世紀における侵略の先進国のスペイン、ポルトガルの手口は「鉄砲と十字架」である。日本においても早くもこの二つが揃ったのである。
しかし、日本はここからが違った。
ポルトガル人から、たった二挺の鉄砲を買った種子島の八坂金兵衛は、一年後には10挺を製作し、数年後には種子島には600挺の鉄砲かあったという。
改良に改良を重ね、種干島という名の火縄銃は、本場のヨーロッパを凌ぐ、猛烈な早さで日本全国に流布し、その機能の改良もヨーロッパ以上に進んだ。
ここで興味あるのは、鉄砲か偶然、種子島という名の島に最初に伝来されたことだ。
その種は、たちまちコピーされて、全国に普及したことだ。
鉄砲は、その半世紀も前に中国に伝わったのに、支那人の中華思想で真似することも、その技術もなかった。
鉄砲伝来から、わずか32年後の長篠の戦いで、織田信長軍は鉄砲隊3000人を三隊に分けての一斉射撃で、武田軍に勝利している。
新奇な物に遭遇した時の日本人の好奇心と、優れた対応とその機敏さは、戦後、トランジスターをみて、たちまちトランジスター商人となり、続くテレビも、自動車も、本場の米国を追い越した例に通ずるものである。
明治維新直後に鉄道を輸入し普及し、やがて世界一の新幹線を走らせたのも、同じ線上の日本人の特性である。
この特性の始まりを、鉄砲の普及に見ることかできる。これで早くも日本は、白人侵略の手段である鉄砲を、こちらも持ってしまったのである。
次に侵略支配の先兵であるキリスト教であるが、当初、信長も秀吉も宣教師を優遇し、布教を許した。(※ 白人たちは、キリスト教への改宗を拒否した原住民たちには、キリストを冒涜したとして、虐殺と略奪を正当化し侵略するのが常であった時代である。)
両者ともキリシタンの宗教部分には何の関心も持たなかったが、ただ単に宣教師が南蛮貿易に役立ち、海外情報を知るために利用できたからであった。
キリシタンは当初九州で信者を増やし、キリシタン大名だちか勢力を伸ばしてきた。秀吉は九州征伐に際して突如キリスト教布教を禁止し、宣教師の国外退去を命じた(1587年)。バテレン(神父)の衣の下に武器を見たからである。
確かにザビエルは、ローマ教会の戦闘的一派ゼスイット派に属し、教会にはマニラから持ちこんだ鉄砲や弾丸を貯蔵していた。明らかに当時の神父は、侵略の先兵だったのである。
家康は当初、貿易奨励のため、キリスト教に寛大な方針を採ったが、慶長十年(1605年)にはキリスト教信徒の数は70万となり、教線も仙台にまで延びた。その発展は幕府に脅威を与えるとして、1613年、全国的に禁教令を発した。
■キリスト教禁圧の原因は、
①宗教一揆のおそれがあること、
②神を絶対最高の主とし、その下における一切の平等を主張し、
殉死、切腹などの封建倫理に反する教理を説いたこと、
③日本固有の信仰(神道、仏教)を破壊するおそれがあること、
④ポルトガル、スペインの領土的野心に気づいたこと、
などであった。
後発のオランダは、先発のスペイン、ポルトガルに領土的野心があることを幕府に密告し、独り幕府に取り入って1639年、鎖国令が出た後も白人国の中で唯一長崎・出島での貿易を許された。
=============================================================
Link:
歴史は勝者によって作られる 清水馨八郎著『侵略の世界史』
http://ochimusya.at.webry.info/201004/article_18.html
原爆より被害甚大な自虐史観 清水馨八郎著『侵略の世界史』
http://ochimusya.at.webry.info/201004/article_17.html
勝者の論理を押しつけられた歴史 清水馨八郎著『侵略の世界史』
http://ochimusya.at.webry.info/201004/article_16.html
マッカーサーの遅すぎた悔恨 清水馨八郎著『侵略の世界史』
http://ochimusya.at.webry.info/200910/article_21.html
捏造された南京大虐殺 清水馨八郎著『侵略の世界史』
http://ochimusya.at.webry.info/200910/article_24.html
報道されない真実を広めるため、
人気ブログランキングのクリックをお願いします!


Thanks for your cooperation!
またコロンブスは、実は黄金の国ジパング(日本)を目指し、大西洋周りで航海に出た際に、未発見のアメリカ大陸に漂着したと言われている。
多くのアジア諸国が白人国家に奴隷・植民地化されていったにも関わらず、なぜ日本だけが白人からの侵略を免れることができたのか?
今回も、清水馨八郎著の『侵略の世界史』から興味深い箇所を引用してみよう。
=============================================================
侵略の世界史 (P220 ~ P223)
=============================================================
なぜ日本一国が、侵略を免れたのか
19世紀の半ば、白人の世界侵略は、アフリカ、中南米、フレア、太平洋地域を獲り尽くし、残りは極東アジアのみとなっていた。
アメリカは太平洋を東から西へと侵略の手を伸ばし、ハワイ、フィリピンをすでに手にしていた。
ロシアは沿海州まで獲得し、日本海を隔てて、日本に向き合うところまできた。
英仏はすでに中国の分割を開始していた。
日本、朝鮮、中国、満州をどこが獲るか、興味はその一点にかかっていた。
1853年、ぺリー艦隊の浦賀来航は、こうした中で起きた。
近世500年において、非白人の国のほとんどすべてが、白人の植民地に組み込まれていった中で、極東の小国日本のみが、なぜ結果的に独立を保ち得たのか。
日本列島はヨーロッパから西回りで来ても、東回りで来ても、最も遠い国、だから侵略を免れたとみるのは充分な解釈とは言えない。
コロンブスのアメリカ大陸到達(1492年)から、わずか50年後、ポルトガル船が早くも種子島に漂着(1543年)している。
スペインがインカを滅ぼしたように、日本を抹殺しようとすれば、決して不可能ではなかったはずだ。19世紀の問題を考える前に、16世紀にさかのぼって第一回の危機について考えてみよう。
鉄砲製造で、たちまちのうちに欧米を凌駕した日本人
スペインのザビエルがキリスト教の布教のため鹿児島に来日したのは、鉄砲伝来から、わずか6年後の1549年であった。
16世紀における侵略の先進国のスペイン、ポルトガルの手口は「鉄砲と十字架」である。日本においても早くもこの二つが揃ったのである。
しかし、日本はここからが違った。
ポルトガル人から、たった二挺の鉄砲を買った種子島の八坂金兵衛は、一年後には10挺を製作し、数年後には種子島には600挺の鉄砲かあったという。
改良に改良を重ね、種干島という名の火縄銃は、本場のヨーロッパを凌ぐ、猛烈な早さで日本全国に流布し、その機能の改良もヨーロッパ以上に進んだ。
ここで興味あるのは、鉄砲か偶然、種子島という名の島に最初に伝来されたことだ。
その種は、たちまちコピーされて、全国に普及したことだ。
鉄砲は、その半世紀も前に中国に伝わったのに、支那人の中華思想で真似することも、その技術もなかった。
鉄砲伝来から、わずか32年後の長篠の戦いで、織田信長軍は鉄砲隊3000人を三隊に分けての一斉射撃で、武田軍に勝利している。
新奇な物に遭遇した時の日本人の好奇心と、優れた対応とその機敏さは、戦後、トランジスターをみて、たちまちトランジスター商人となり、続くテレビも、自動車も、本場の米国を追い越した例に通ずるものである。
明治維新直後に鉄道を輸入し普及し、やがて世界一の新幹線を走らせたのも、同じ線上の日本人の特性である。
この特性の始まりを、鉄砲の普及に見ることかできる。これで早くも日本は、白人侵略の手段である鉄砲を、こちらも持ってしまったのである。
次に侵略支配の先兵であるキリスト教であるが、当初、信長も秀吉も宣教師を優遇し、布教を許した。(※ 白人たちは、キリスト教への改宗を拒否した原住民たちには、キリストを冒涜したとして、虐殺と略奪を正当化し侵略するのが常であった時代である。)
両者ともキリシタンの宗教部分には何の関心も持たなかったが、ただ単に宣教師が南蛮貿易に役立ち、海外情報を知るために利用できたからであった。
キリシタンは当初九州で信者を増やし、キリシタン大名だちか勢力を伸ばしてきた。秀吉は九州征伐に際して突如キリスト教布教を禁止し、宣教師の国外退去を命じた(1587年)。バテレン(神父)の衣の下に武器を見たからである。
確かにザビエルは、ローマ教会の戦闘的一派ゼスイット派に属し、教会にはマニラから持ちこんだ鉄砲や弾丸を貯蔵していた。明らかに当時の神父は、侵略の先兵だったのである。
家康は当初、貿易奨励のため、キリスト教に寛大な方針を採ったが、慶長十年(1605年)にはキリスト教信徒の数は70万となり、教線も仙台にまで延びた。その発展は幕府に脅威を与えるとして、1613年、全国的に禁教令を発した。
■キリスト教禁圧の原因は、
①宗教一揆のおそれがあること、
②神を絶対最高の主とし、その下における一切の平等を主張し、
殉死、切腹などの封建倫理に反する教理を説いたこと、
③日本固有の信仰(神道、仏教)を破壊するおそれがあること、
④ポルトガル、スペインの領土的野心に気づいたこと、
などであった。
後発のオランダは、先発のスペイン、ポルトガルに領土的野心があることを幕府に密告し、独り幕府に取り入って1639年、鎖国令が出た後も白人国の中で唯一長崎・出島での貿易を許された。
=============================================================
Link:
歴史は勝者によって作られる 清水馨八郎著『侵略の世界史』
http://ochimusya.at.webry.info/201004/article_18.html
原爆より被害甚大な自虐史観 清水馨八郎著『侵略の世界史』
http://ochimusya.at.webry.info/201004/article_17.html
勝者の論理を押しつけられた歴史 清水馨八郎著『侵略の世界史』
http://ochimusya.at.webry.info/201004/article_16.html
マッカーサーの遅すぎた悔恨 清水馨八郎著『侵略の世界史』
http://ochimusya.at.webry.info/200910/article_21.html
捏造された南京大虐殺 清水馨八郎著『侵略の世界史』
http://ochimusya.at.webry.info/200910/article_24.html
人気ブログランキングのクリックをお願いします!





Thanks for your cooperation!