世界を変えたサムライの国 Part1

NHKドラマ、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の第二部が終わった。

ドラマの第二部では、日露開戦へ突入したものの、ストーリーは旅順港の閉塞作戦の所までで、続きは来年の年末へ持ち越しとなってしまった。

日露戦争といえば、極東の名もなき小国の日本が、世界から注目され、世界の大国と肩を並べるキッカケとなった戦争だ。

当時、南下して領土を拡大していた軍事大国、帝政ロシアに対しては、世界のどの国も戦いを挑む国は存在しなかったが、唯一日本だけが背水の陣で、大国ロシアに立ち向かった。

何故、そこまでして日本は戦争をする必要があったのか?

日本が、日清~日露~大東亜と、決起して戦争に至るまでの経緯(概略)を、『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』の段落、「誇りの記憶」を取り戻せ-世界を変えたサムライの国-から紹介したい。

この本の著者である深田匠氏は、日本国民に広く知ってもらいたいが為、著作権は放棄されているとの事。従って、リンクでもコピペでも構わないので、是非とも拡散願いたい。



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    『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』 (P388 ~ P395)
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【日本の国家戦略(二)】

「誇りの記憶」を取り戻せ -世界を変えたサムライの国-

佐賀藩の武士道教本である『葉隠』には、「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名な一節がある。

これは何も死ぬことを勧めているのではなく、武士たるものは公のため天下国家のためには死ぬ覚悟を持って日常事にあたれということだ。

志という字は「士の心」、つまり武士道精神を意味するもので、同邦万民のために自己を捨てて殉ずる心が本来の「志」なのである。

国家にはそれぞれ、そのナショナル・アイデンティティが存在しており、英国にはアングロサクソンの騎士道があり、米国にはピューリタニズムがある。

そしてどの国のナショナル・アイデンティティにも引けを取らない崇高な理念が日本の武士道であり、それ故にセオドアールーズベルトや李登輝元総統が絶賛したる所以である。

マルクス主義史観によって忠義や報国といった概念を全否定する日本の左翼は、この民族的精神たる武士道を蔑めるために「人口的に武士なんてごく一部で大半は農民・町人であり関係ない。戦前戦中の帝国主義教育の産物だ」などと誹謗することが多い。

しかし江戸時代から寺子屋の先生は藩校で学んだ武士たちが勤めており、その寺子屋は明治維新によって尋常小学校に発展している。

尋常小学校で明治時代の子供を教育したのは武士であり、それによって武士道精神は日本民族全体が共有する理念へと昇華したのだ。

そしてそれまで武士階級の心がけであった武士道が維新によって全国民に広がったことで、世界中が驚嘆するスピードで明治日本を世界六大強国の一つにまで推し上げていく原動力となった。

自衛隊の基となった警察予備隊編成のために戦後日本に滞在した米軍事顧問団幕僚長F・コワルスキー大佐は、「すべての日本人の心には武士道が生きている」と感嘆の言葉を述べているが、コワルスキーの会った日本人たちとは敗戦以前の教育を受けた人々である。

つまり精神とは職業の差異によって生まれるものではなく、教育によってのみ培われるものなのだ。

敗戦から六十年、GHQニューディラーの占領政策とマルクス主義勢力の「洗脳」を受け続けた今日の日本には、もはやこの武士道精神が喪われたかのように見える。

しかしあまりにも一方の端へ偏向した国民精神の基軸は、やがてバランスを取るために真ん中に戻ろうとする自浄作用をもたらせる。

まさに今その自浄作用は始まり出した。

映画『プライド』や『新しい歴史教科書』が話題を呼んだ平成十年頃が一つの分岐点となって、日本民族が目覚めた始めたように私は感じている。

そしてそれを象徴するかのような素晴らしい言葉が平成の軍人の口から発せられた。平成十六年二月一日、北海道旭川市で行われた自衛隊壮行式典において、陸上自衛隊イラク派遣本隊隊長の番匠幸一郎一等陸佐は「武士道の国の自衛官らしく規律正しく堂々と取り組みます」と述べられた。

ニュースでこの言葉を耳にした私は、このとき深い感慨を覚えた。国連PKOの枠を超えて主権的国策の下に初めて海外の地を踏む自衛隊、その派遣隊隊長の口から「武士道」という言葉が出たことが、「日本もまだまだ捨てたもんじゃない。これから日本は変わっていく」と私を勇気付けてくれたのだ。

そしてその言葉が実行されたことは、二〇〇四年のシーアイランド・サミットでイラク暫定政権のヤワル大統領が「(各国派遣軍の中で)イラク国民が最も歓迎しているのは日本の自衛隊だ」と述べたことで実証された。

「武士道の国の軍隊」はその本分を全うしている。

本年、平成十六年は日露戦争開戦百周年にあたるが、実はこの日露戦争こそが数百年間続いた欧米白人国家による世界支配に終止符を打ち、万民族平等たる新世界を現出せしめた人類史上最も偉大なる戦いの出発点であった。

祖国近現代史を省り見るに、日清・日露・大東亜戦争、この全てにおいて日本は自国よりも強大な国ばかりと戦った。

当時、清もロシアもアメリカも日本の何倍何十倍もの軍事力・人口・領土・資源を持つ大国であり、日本は悲壮な決意の下に背水の陣で戦ったのである。

対中従属と防衛力弱体化のために自虐史観を唱える左翼勢力は、日本の戦争をすべからく「侵略」だと喧伝してきたが、しかし自国よりも強大な国とばかり戦うような「侵略」など存在しないことは自明の理であろう。

イラクがクウェートに、中共がチベットに侵攻した如く、自国よりも弱い国を攻めるからこそ「侵略」が可能となるのだ。

弱肉強食の原理が世界公然の秩序であった時代、白人植民地支配の魔手が東亜に迫り来る中、日本はアジアを守るために先ずそれを妨害する清国と戦った。

当時、阿片戦争で英国に破れた清はそれを機に西欧列強に侵食され始め、そこで清は「東学党の乱」に乗じて朝鮮半島に出兵し、朝鮮の完全な属領化をもって国威復活を図ろうとしていた。

しかし朝鮮半島こそが地政学上における日本防衛の生命線であることを理解していた日本政府は、清に対して「朝鮮の独立維持」を求め、しかし清かそれを拒否したことにより明治二十七年日清戦争に至ったのである。

日本に領土欲などカケラもなかったことは、日本の戦争の動機が朝鮮の独立を守るためであったことで裏付けられる。

現に明治二十九年(一八九六年)に朝鮮を訪れた英国のカーゾン卿は「朝鮮を日本が併合していれば、日本は混乱状態から新しい秩序を導き出せだのに、日本はそうしなかった。日本はこの気の狂った小さな舟(朝鮮)を極東の錨地につなぎ止めておく国際的な義務がある」と述べて、日清戦争後に日本が朝鮮併合を行わなかったことを「他国を気遣うあまりの失策」と批判しているぐらいである。

しかし日本がようやく清を倒してその独立を守った筈の朝鮮は、その事大主義故に日本とロシアを両天秤に掛けて日本の足を引っ張り続け、あげくには親ロシア派の一党が朝鮮国内にロシア軍を導入するに至った。

実は朝鮮という国はそれまで約二千五百年間に渡ってシナに直接支配されるか又は属国属領となって朝貢するか、そのどちらか以外の歴史はまったく存在せず「独立主権」という概念が稀薄であった。

そもそも朝鮮という国名自体が、高麗を倒した李成桂が一三九二年に宗主国の明に使者を派遣して命名してもらった国名だ。

地政学上、朝鮮のような半島国家は大陸国家と海洋国家のパワー・ポリティクスに巻き込まれる宿命を持つが、それ故に朝鮮では常に事大主義なる「強いほうの側につく」という民族精神が存在した。

従って当時朝鮮では三国干渉を見て「日本よりもロシアのほうが強い」と考えた勢力が、日本の同盟国としての独立維持よりもロシアの属国になることを選び、ロシア軍を大々的に国内に引き入れたということだ。

このままでは朝鮮は言うまでもなく満州もシナも東アジア全体がロシアの侵略の魔手に陥ち、日本の独立も危うくなる、そんな状勢の中で日本は孤軍奮闘ただ一国でアジアを守るためにロシアに戦いを挑んだ。

世界中が日本の敗戦を確信する中で歴史の女神は日本に微笑み、奇跡的な戦勝が日本におとずれた。

日本の二倍の陸軍と三倍の海軍を保有するロシアは、海でも陸でも日本軍に敗北した。こうして今から百年前のその日、日本は人類史に巨大な輝かしい足跡を刻んだ。

世界史上初めて有色人国家が白人国家に勝利したのである。

明治三十八年九月五日、この日に旧き世界は新しい世界へと変わった。
 
世界中の誰もが予想だにしなかった日露戦争のこの結末によって、その瞬間に白人の世界支配秩序は大きく揺らぎ、やがて大東亜戦争を以ってその白人の力による秩序は完全に崩壊することになる。

もし日本が日露戦争に敗けていれば、おそらく北海道はロシア領となり、朝鮮半島も満州もロシアに占領され、さらに東アジア制覇を目指すロシアはシナの黄河以北を領有し、ロシアがそうすればイギリスは揚子江をはさむシナ中部を占領、インドシナを植民地とするフランスも接するシナ南部を占領、出遅れたアメリカも当然シナに侵出し、かぐてシナは解体されてロシアを中心とする白人諸国に分割統治されていたことであろう。

そしてその結果、白人の世界支配は今もなお継続していたであろうことは推察するに易い。

日露戦争における日本の勝利は、全アジアの有色民族に大きな希望と自信を与え、植民地下の全ての国々から独立の志士たちが日本に集結するに至った。

日本はさながらアジア独立解放の本陣たる一大基地の様相を呈していたのだ。

シナからも年間数万人が日本に留学し、日本はその留学生たちを陸軍士官学校に受け入れている。

さらに日本陸軍はこれらシナ人留学生のために、中国語で軍事学を教える「振武学校」なるものまで設置した。

もし日本にシナ侵略の意図があったのならば、相手国の留学生に軍事学を教えるような馬鹿な真似はしない。

日本はシナが日本と共に白人植民地主義からアジアを護る友邦となってくれることを真摯に願ったのだ。

その願いはシナ側から幾多も裏切られたが、それでも日本は「日支親善」を唱えて日中共栄の夢を追った。

もし日本が本当にアジアを乱す元凶たる侵略国であったのならば、日本敗戦によってアジアは平和になった筈である。

しかし現実はどうか。東南アジアの独立戦争はともかく、シナでは国共内戦、朝鮮も南北内戦、ベトナムでも南北内戦、中印戦争、中越戦争、その他、枚挙するにキリがない。

ここから導き出される結論は一つ、日本はアジアの「秩序」であり、そしてアジア独立の「光」であったのだ。

一九五七年に岸首相が訪印した際、インドのネルー首相は歓迎に集まった約三万人の群衆を前に「私の子供の頃に日露戦争というものがあった。その頃のロシアは世界一の陸軍国だった。世界中は、ちっぽけな日本なんかひとたまりもなく叩きつぶされると思っていた。アジア人は西洋人にはとてもかなわないと思っていたからだ。ところが戦争をしてみると、その日本が勝ったのだ。私は、自分たちだって決意と努力しだいではやれない筈がないと思うようになった。そのことが今日に至るまで私の一生をインド独立に捧げることになったのだ。私にそういう決意をさせたのは日本なのだ」と述べている。

もし日本という国が地球上になければ、この世界は今とは全く違う世界、「白人という半神と有色人種という家畜」だけが存在する差別と弾圧の世界であり続けたことは疑いようもない。

日露戦争後に日本が優先的権益を確保した満州という要所は、日本がロシアに対抗する上で不可欠の地であった。

しかし日本は満州国を単なる緩衝地帯だとは考えず、アジア諸民族のユートピアにする大理想の下、一九三二年~一九四五年にかけて当時の金額で総額百億円以上(当時の日本の国家予算は平均二十数億円)を注ぎ込み、五族協和の近代国家建設に全力を尽くした。

朝鮮半島でもそうしたように、日本の武士道精神は「弱きを助ける」ことにあったからだ。

満州国のシンボルでもあった満鉄「大陸特急あじあ号」は、大連~新京間の七百キロを八時間で疾駆する当時世界最速の列車であった。(現在この区間を走る中共の列車は十時間を要している。)

クーリッジ共和党大統領の意を受けて一九二八年に満州を視察した米モルガン財団は「満州はシナ全土で唯一の安定した地域である。日本人があってこそ、満州は不安定要素が消えて安定することが期待できる。日本の満州開発は中国人の利益となっている」との報告書を米国務省に提出しており、また一九四五年四月に延安で開催された中国共産党第七次全国大会で毛沢東が「たとえ我々が全ての占拠地を喪失しても、満州さえあれば、それをもって中国革命の基礎を築くことができる」と述べて「満州だけは国民党軍の手に渡すな」と檄を飛ばしたことからも、その近代国家としての繁栄振りは伺い知れるであろう。

しかし日本が苦難の末にロシアのアジア制覇の野望を抑えて満州開発に努力を傾け始めた途端、次は英米がその満州を始め東アジアにその権益拡大の矛先を向け、一九三三年に米国で民主党ルーズベルト政権が発足すると、前任のフーバー共和党政権とは打ってかわって米政権は日本の満州権益に圧力を加え始めた。

そしてその欧米白人諸国のアジアにおける勢力圏・軍事拠点が東南アジア植民地諸国であった。

何が何でも日本を戦争に引きずりこみたいルーズベルトの対日「戦争挑発項目A~H」の順次実施は、日本にとって忍耐の限度を超える苛酷さを極め、以って日本は米国の圧力を打破し東南アジア諸国を欧米の支配下から解放独立せしめんが為、かの地にて欧米軍と干戈を交えたる所以である。

白人が世界を支配するスタンダードルールの中で、共産主義ソ連打倒を夢見たドイツ、そしてイタリア等のドイツの追随国だけが、白人国家として日本の味方についてくれた。

日独伊三国同盟を後の時代になって批判することは易いであろう。しかし当時の国際社会の中で日本に味方してくれる白人国家はドイツしかなかったという、日本の孤立的現実を忘れてはならない。
          
一九四〇年九月、日本軍は北部仏印に進駐。英国史家クリストファー・ソーン述べるところの「十五世紀のバスコ・ダ・ガマで始まった欧州人によるアジア支配に初めて亀裂を入れる」という大いなる快挙を成し、「アジアでの白人種の権威が失墜する」(英イーデン外相)と焦った英国は、仏ビシー政権を通じてドイツに日本を抑えるように依頼する。

植民地を手放す気などカケラもなかった英国は交戦中のドイツにまですがったが、ヒトラーは「日本は同盟国であり、ドイツの権益を侵さない行動を止める権利は我方にはない」とこれを一蹴。

かくて戦いが始まると、「小さい連中(日本軍)を速やかに追っ払う」と宣言した英マレー方面司令官パーシバル中将は、山下奉文中将率いる日本軍に速やかに追っ払われた。

マレー沖海戦で英戦艦プリンス・オブ・ウェールズが沈んだとき、同時に植民地帝国イギリスの国威も海の底へと沈み、チャーチルは「戦争の全期間を通じてこれほど衝撃を受けたことはなかった」(回顧録)と嘆泣した。

シンガポール陥落の日、仏亡命政権首班ド・ゴールはその日記に「白人帝国のアジア支配は終わった」と書き記している。

これまで数百年間に渡り白人が有色人種の血と涙と屍の上に築いてきた植民地帝国という世界秩序、その世界秩序がカラカラと音を立てて崩れていく衝撃が、欧米白人諸国の間を一迅の突風となって走り抜けた。
 
その国力からして勝てる見込みの薄いことは百も承知の大東亜戦争、しかし日本は誇りを守るため悲壮なる決意の下、国家存亡を賭けてアジアの為に白人超大国連合に戦いを挑んだのだ。

自ら好きこのんで強大国に攻撃を仕掛ける「侵略」戦争など三千世界の何処にもなく、三度に渡る日本の戦争は全て孤高のアジア防衛戦であり、不屈の防共戦であり、そして同時に白人に虐げられてきた全ての有色民族を代表する「聖戦」であった。

それ故に当時を知る東南アジア指導者たちが日本に「謝罪無用」と述べる所以である。

もしも左翼の言うように日本に侵略の意図が有ったのならば、なぜ日本は占領下の各植民地を独立させ、もしくは独立させるための訓練や教育を施したのであろうか。

自虐史観病の患者たちが何を強弁しようとも、日本がアジアの植民地諸国を独立させたこと、その事実こそが全てを証しているではないか。

日本は本気で崇高なる「夢」を追い、そのために日本人は苦難に耐え血を流しアジアの「聖戦」を戦い抜いた。

大東亜会議においてインド独立仮政府首班チャンドラ・ボースは、「一九〇四年に日本がロシアとの戦いに決起して以来、日本には自由かつ繁栄に充ちたる新アジア建設のために指導的立場に立つ使命が生じた。それは歴史の必然である」と述べた。

然り、日本の戦いは侵略ではなく使命であった。

米国の歴史家J・トーランドは「大東亜共栄圏の思想は、西側の情報分析家が言うような茶番や狂言ではない。日本の指導の下で『普遍的兄弟愛』によるアジアの団結を宣言したこの政策は、白人によって搾取されてきたアジアを解放したいとする日本の理想主義によって産み出された」のであり、「日本の勝利はほとんどのアジア人を陶酔させ、一九四二年のシンガポール陥落は、西洋の支配から解放されたアジアの出現であり、東洋人すべてに誇りを与えることになった」と断じている。

そして最終的に戦いには敗れたが、日本のこの「夢」は叶った。

日本軍の占頷下において、一九四三年三月フィリピン独立、同年八月ビルマ独立、翌一九四四年三月インドシナ独立。インドネシアとマレーは終戦迄に独立は間に合わなかったが、日本は両国独立の基礎となるインドネシア独立義勇軍及びマレー興亜訓練所を設置し育成指導している。

また日本軍が編成させたインド国民軍は、悲惨な戦場となったインパール戦線を日本軍と共に戦い、インド独立の礎となった。

イギリスがこのインド国民軍を反乱軍だとして設けたる軍事裁判はインド全土に暴動を呼び起こし、その結果一九四七年インド独立、同軍事裁判のインド側主席弁護人パラデイ・デサイ博士は「インドの独立は日本のおかげで三十年早まった。インドのみならずビルマもインドネシアもベトナムも東亜諸民族はみな同じである」と宣した。

数百年の長きに渡り続いた白人の植民地支配、しかし日本は僅か三年足らずの占領期間に東南アジア諸民族に教育と訓練を施して独立を達成せしめた。

「第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た人々のために、偉大な歴史を残したと言わねばならない。その人々とは、日本の掲げた短命の理想である大東亜共栄圏に含まれていた国々の人々である。日本人が歴史上に示した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間考えられていたような不敗の半神ではないことを明らかに示したことにある」(A・トインビー)。

そしてこのアジア諸国の独立はやがてアフリカ諸国の独立を誘発せしめ、かくて人類史上における白人の植民地世界支配は永久に消滅するに至る。

常に強き故に立ち向かった日本の三度の戦争、それは正に「弱きを助け強きを挫く」という武士道精神の戦争であり、勝った戦いも敗れた戦いも共に我々日本民族の誇りであり、恥じるところなど些かたりとも無い偉大なる先人の歴史である。

英国の大哲学者ハーバード・スペンサーは「進歩とは偶然に起こるものではなく、必然として起こる。この巨大な動きは絶えず完成に向かいつつある。完全な発展と、より純粋な善へと向かいつつあるのだ」と述べているが、この世には戦争によってしか実現しえない人類の「進歩」もまた存在しており、それは「話し合い」では決して変えることのできないものである。日露戦争と大東亜戦争、それは人類が純粋な善に向かって進歩するための「必然」であった。明治維新以来、果敢にも強大国に挑み続けたサムライの国は世界を変え、人類に大きな進歩を到来せしめたのだ。


世界を変えたサムライの国 Part2
http://ochimusya.at.webry.info/201012/article_20.html


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