戦争の大義とプロパガンダ Part2

今回は、ネット上でもおなじみのアジア諸国からの日本への評価(名言)が記されている本題に入ろう。

前回に引き続き、目から鱗がボロボロと落ちる、Part2 を紹介したい。 【拡散希望】



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    『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』 (P536 ~ P541)
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【日本の国家戦略(二)】

戦争の大義とプロパガンダ

大東亜戦争における戦勝国のプロパガンダについて、独立ビルマ初代首相バーモウは、「歴史的に見てアジアを白人の支配から解放するのにこれほど尽くした国(日本)はかつてなかった。同時にこれほど誤解された国もまたかつてなかった。それでも日本が無数の植民地の人々の解放に果たした役割はいかなることをもってしても、消し去ることはできない」と自伝に記している。

戦勝諸国がつくったカバー・ストーリーは「日本がビルマを侵略した」というもので、頭のわるい日本人はそれを鵜呑みにして謝罪する。

しかしカバー・ストーリーの下の真実の歴史は、「日本はビルマからイギリスを追い出し、ビルマ人の独立義勇軍(BIA)を育成してビルマ独立の基礎を築き、戦後ビルマ政府はBIAを指導した日本軍人たちに勲章を贈った」というものである。

歴史というもの、とりわけ戦争に関する歴史というものは、真実の歴史とプロパガンダ(カバー・ストーリー)の二重構造になっているという視点を失ってはならない。

なお戦争中の当事者が存命している間の時代は戦勝国のカバー・ストーリーが世界のスタンダードとなってしまうが、その次の時代に最終的にどちらの正義が生き残るかは、まさに歴史の女神が判定することだ。

従って我々日本人が当時の日本の正義を叫び続けることは、次の時代のためにも必要なことなのである。

さて戦前に日本に留学した経験のあるハーバード大学教授フランク・マグリンは、「我々(欧米人)は善と悪、神と人間、黒と白の二元論でつい考えてしまう。ところが日本人にとっては一つのことが同時に善でも悪でもある。日本人は生まれつき弁証法(筆者注……対立や矛盾する事象がより高い次元で一つに統合されること)の達人で、人間の存在自体が矛盾に満ちていることを知っている。いわば我々(欧米人)の論理は、物を入れる区分がきちんと付けられたスーツケースであり、日本人のそれは何もかも包んでしまう風呂敷包みのようなものだ」と喝破している。

対立も矛盾も大きく包みこむ風呂敷包みの文明、まさにそれこそが日本の神道文明の真髄を見事に言い表している。

しかしマグリンが出逢った日本人は「戦前の日本人」である。戦後の日教組教育を刷り込まれた日本人は伝統的日本文明に基く発想を忘れ、欧米式の白黒二元論でしか物事を考えられなくなった。

戦勝国のプロパガンダ通りに「日独は悪、戦勝国は善」、「日本は加害者、中共は被害者」、「軍隊は悪、憲法は善」、戦勝国に都合の良いそんな馬鹿げた観念が戦後の空気を支配してきた。

アメリカという国を「親米か、反米か」という二元論でしか考えられない人々も同様だ。

これらの人々は全て「スーツケース」の論理で発想している。

それではこの「風呂敷包み」の論理に立って、改めて戦争の「大義」について考察してみよう。

私は前著で「戦争における大義というものは交戦国双方にある。何故ならば互いに相反する国益同士の衝突が戦争に至るからだ。そして双方にあるということは即ち無いにも等しい。どちらの国の大義を支持するかは、どちらの大義が日本の国益となるか次第だ」という主旨を述べた。

ところが前著発売後しばらく経った頃から、野党やマスコミや反米言論人が「イラク戦争には大義がない」という大合唱を始め出した。

産経新聞などがその傾向を批判して「大義云々ではなく日本の国益で判断せよ」と主張すると、今度は反米保守陣営から「大義を否定するということは、大東亜戦争の大義も否定することになる」という短絡的な反論が起こり、「反米だ、親米だ」というレッテル貼りが今だに続いている。

私はこの「イラク戦争に大義がない」と主張する人々との間に、流行語を借りれば「バカの壁」を感じる。国家が違えば国益も異なり、政治体制も違い宗教観も異なり、文化慣習も違えば何から何まで違う中で、「大義」なるものが一つだと考えること自体が反リアリズムの幻想でしかない。

例えばカトリックとプロテスタントは過去に何度も戦争して互いに殺し合った。

マルティン・ルターが「信仰によってのみ人は神の前へと通じる」と主張したのに対し、カトリックは「それ以外の外面的儀礼によっても通じる」と反駁し、両者の違いは端的に言ってこれだけでしかない。

日本人からみれば何ともくだらないことで戦争して殺し合ったものだと感じるが、両教徒にはそれぞれ殺し合うだけの「大義」があったということだ。

そして例えば、それについて仏教徒が「カトリックが正しい」とか「プロテスタントが正しい」と決めつけることはできない。仏教徒の「大義」は仏教の中にしか存在しないからだ。

つまり日本民族は日本の「大義」だけを「大義」とする権利が有り、アメリカやイラク双方の「大義」までを裁くとは神にでもなったつもりかと問いたい。

大東亜戦争では有色民族を植民地から解放することは、当時唯一の有色民族の大国であった日本の国益にして大義であり、一方白人支配を永続させることが欧米諸国の国益にして大義であった。

私たちは日本人であるのだから日本の大義の下に生きるのは当然なのだが、その大義が世界のスタンダードであるという固定観念を持つべきではないのだ。

要するに世界の国の数だけ国益即ち大義は存在しており、イラク戦争におけるこの「大義」論争ほど馬鹿馬鹿しく幼稚なものはない。

ところで「イラク戦争には大義がない」と主張している左翼陣営が、かつての大東亜戦争における日本の大義も否定しているという皮肉な状況は一体何を意味しているのであろうか。

つまり「国の数だけ大義がある」ということを理解できずに「世界に大義は一つ」だと思い込んでいるために、東京裁判において戦勝国の掲げた大義だけが唯一の正しいものだと思ってしまうということだ。

結局はこれもまた白黒二元論でしか判断できない幼稚さなのだ。

加藤紘一や菅直人など「大義がない」と主張する人物は例外なく自虐史観の権化のような人間ばかりである。

日本人のくせに日本の大義を共有できないような人間には、他国の大義を云々する資格など一切ない。

さて明治維新以来、日本という国の掲げた大義とは、一九一八年(大正八年)の第一次大戦パリ講和条約における日本の提議案が全てを物語っている。

十六ヵ国が参加した同会議で日本は「国際連盟規約に人種差別撤廃を規定せよ」と求めた。

しかし米英など五ヵ国が反対し、米ウィルソン民主党大統領は「全会一致でない」という理由を強弁してこの提議案を否決、以って日本は武力によってその大義を実現せざるを得なくなったのである。

人種差別の撤廃、人類の平等を世界のスタンダードルールとするためには、白人の植民地を解放しなければならないが、「話し合い」なんかで白人が既得権益を手放す筈がない。

ましてや有色人種だと見下げていた日本の主張に耳を傾ける気もまったくない。

白人列強国が全世界を武力で支配する中、極東の小さな有色民族の国ただ一国だけが人種平等の旗を人類史上初めて高く掲げ、そして虐げられた全植民地下の有色民族たちの「希望の星」となった。

ここに日本が追い求め続けた大義がある。

国の数だけ民族の数だけ大義は存在する。

しかし日本にとっての大義とはただ一つしかない。その大義を掲げた大東亜戦争の後、日本が斬り拓いたその新しい世界秩序により、百十六ヵ国が独立し二十二億人の有色民族が白人支配から解放された。

これらの独立国の中には、日本の大義を理解し「共有」してくれる国が少なからず存在する。

私はここに一つの希望を見い出す。違う国の大義が完全に一致することはなくても「共有」は可能なのだ。

それはアメリカの現在の戦争における大義を日本が「共有」することで、かつての戦争における日本の大義をアメリカが「共有」する可能性を示唆している。

すなわちイラク戦争におけるアメリカの大義を同盟国として日本が認めること、それはアメリカとりわけ共和党政権が同盟国として大東亜戦争の日本の大義を追認する日の到来を早めることになる。私はそう確信している。

そして実はアメリカにおいても、人種平等を唱えて黒人奴隷解放のために北軍を率いた「もう一つのアメリカ」、すなわち共和党勢力のその理念こそがまさに日本の大義とも符号するものである。

米国との同盟関係を重んじて、左派マスコミの反米反戦の大合唱の中でイラク攻撃に支持を表明した小泉首相の判断は正しいものではあるが、本気で「アメリカの信頼に足る同盟国でありたい」と言うのであれば、「集団的自衛権行使の解釈変更」「非核三原則の撤廃」「日本海へのトマホーク配備」その他、首相の意志一つでやれることは多くある。

なぜ言葉は勇ましいのに行動が伴わないのか、それは要するに小泉首相もまた自虐史観から脱していないからであろう。

自虐史観に由来する妄想平和主義が、知らず知らずに内にブレーキをかけているのではないか。

それ故に靖國参拝時には、村山談話を超える「謝罪談話」を発表し、「こんな談話を出すぐらいなら、いっそのこと参拝しないほうがよかった」と多くの遺族を落胆させたのだ。

平壌宣言の謝罪文言にクレームを付けようとしなかったのも、小泉首相の根底に自虐史観がありかものと判断するより他にない。

2001年6月の訪米時に小泉首相がブッシュに対して「米国が日本を旧日本軍から解放しでくれたという気持ちが強い」と述べたこと自体が、その東京裁判史観を証明したるものである。

しかし前述のように、自国が戦った戦争を「善」とするのか「悪」とするのかは、その国自身が判断するべきことなのだ。

多くの国民が生命を捧げた自国の戦争を後代の首相が「悪」と断じることは、祖国への背信だと言っでも過言ではない。

戦争とは国益の衝突である以上、日本の戦いは「国益を妨げる障害」との戦い、つまり日本にとっての「悪」との戦いであったのだ。

日本が「悪」であったのではない。

日本にとっての「悪」と戦ったのだ。

明治維新以来、日本の国益を阻害し続けたるもの、すなわち日本にとって「悪」と判断するべきものは、共産主義をおいて他にはない。

確かに日本は、近現代の三回の戦争によって大中華覇権主義や白人植民地主義を打倒したが、前述のように大東亜戦争では共産主義の謀略に破れたのだ。

日本のみならず米国も共産主義の謀略に破れ、第二次世界大戦はソ連と中共のみが利益を得る結果となった。

これを教訓としたる共和党と日本が、アジアに残る最後の共産主義国たる中共と北朝鮮を打倒することによってのみ、真の「勝利」は得られるのであり、日本が新たな「戦勝国」となることだけが、日本がかつて敗戦によって失った「正義」の立場を取り戻してくれる。

欧州を軍事力で制覇したナポレオンは何故に現在は「悪」とされず、ヒトラーは何故「悪」なのか。それはフランスが現在戦勝国の立場にあるからだ。

前の戦争の結果によって生じた立場は、次の戦争の結果によって変わる。

戦勝国による戦後秩序も歴史のカバー・ストーリーも、全て次の戦争の結果が打ち崩す。

第二次世界大戦によって第一次大戦の勝敗が霧散したように、第二次大戦の結果による影響は、日本が当事国となる新たな戦争に勝利することで消えるのだ。

白人植民地の解放と自存自衛の戦いという日本の「正義」は、戦勝国の主張する「正義」とは相反していたから、戦後日本は「悪」のレッテルを貼られた。

すなわち日本と戦勝国との国益が相反していただけである。

そして日本が負けた相手はアメリカだけであり、シナにも欧州にも負けていない。

つまり、日本の「正義」とは、日米関係の変化の中でのみ甦りうるものなのである。

英国の高名な歴史家H・ウェルズは「大東亜戦争は、植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界秩序の基礎を築いた」と述べているが、我が日本は昭和の大戦において世界秩序の基礎を築きつつも、名を捨てて実を結実させた結果となった。

次はその世界秩序の再編をもって日本が名を取り戻すべきときなのだ。

日本が失った名とは、すなわち国家の「名誉」である。

タイのククリット・プラモード首相は「我々が白人と肩を並べて語れるようになったのは、誰のおかげか。大東亜戦争があったからではないのか」と語り、日本に感謝する「十二月八日」という一文を新聞に載せている。

インドのラダ・クリシュナン大統領は「インドが独立できたのは、日本のおかげである。インドのみでなく、ベトナムもビルマもインドネシアも西欧の植民地はすべて、日本人が払った大きな犠牲によって独立することができたのだ」と述べ、ビルマ(現ミヤンマーのタキン・バセイン副首相も「我々はイギリス(ビルマの旧宗主国)から賠償金を取って、それを日本に支払うべきだ」と述べている。

さらにインドネシアのモハメッド・ナチール首相は「アジアの希望は植民地体制の粉砕だった。大東亜戦争は、我々アジア人の戦争を日本が代表したものだ」と語り、シンガポールのゴー・チョクトン首相も「日本軍の緒戦の勝利により、欧米のアジア支配は打破され、アジア人は自分たちも西欧人に負けないという自信を待った。日本の敗戦後十五年以内に、アジアの植民地は全て解放された」と述べている。

日本は中共の「日本弱体化」謀略によって自ら自虐史観を喧伝し、卑屈な土下座外交を続けているが、大東亜戦争の当時をよく知るアジアのリーダーたちや有識者の多くは、日本が失った「名誉」を取り戻すことを望んでいるのだ。

そしてその「名誉」とは、日本が「戦勝国」となり、日米が対等なパートナーとなる世界新秩序の中でのみ、取り戻すことができるものなのだ。

すなわち共和党政権による日本の大義の「共有」こそが、日本が失った名を取り戻す唯一の道なのである。

先の大戦の勝敗による世界秩序、日本に対する戦勝国のカバー・ストーリー、アメリカがつくった日本のこの「戦後体制」を一新する歴史的使命を負ったキーマン、最初に登場したキーマンとは実にブッシュその人であろう。

ブッシュは米国大統領として初めて靖國参拝を希望した。

それは日本の大義の「共有」への第一歩であった。

しかし日本はこの第一のチャンスを自ら逃した。

ブッシュが再選されれば第二のチャンスはやがて訪れるだろう。

もし民主党政権に替われば、再び共和党政権の二番手のキーマンが登場する日まで「その日」は遠ざかることになる。

しかし日本がイラク戦争を支持した事実は消えない。共和党は「借り」は必ず返す政党である。

戦後六十年、ついに「正義の女神の秤」は動き始めたのだ。ブッシュ政権とはパール判事の予言した「虚偽からその仮面を剥ぎとる理性」に他ならず、イラク戦争とは日本民族にとって「暁」への扉を開ける大いなるプロローグであったのだ。

さて、いよいよ次章ではイラク戦争以後の今後一世紀に渡る日本の中長期的使命、そして本書でこれまで述べてきた国内外あらゆる全ての現象の根源となる「原理」について述べる。

日本は、アメリカは、中共は、世界は、有史以来の人類全ての歴史は、ただ一つのパワー・ポリティクスの「原理」に基いて動いている。

その「原理」を知れば未来が視えてくる。それは今まで誰も語ることのなかったパワー・ポリティクスの未来学である。



戦争の大義とプロパガンダ Part1
http://ochimusya.at.webry.info/201108/article_12.html


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Link:

パワーポリティクスの未来学 Part1
http://ochimusya.at.webry.info/201006/article_12.html

パワーポリティクスの未来学 Part2
http://ochimusya.at.webry.info/201006/article_13.html

ブログテーマ 「日本人が知らない シリーズ」
http://ochimusya.at.webry.info/theme/57295fd580.html



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