韓国を奴隷化したという愚論

反日の韓国人は、日本は韓国を奴隷化したという。

義務教育で、韓国人は反日思想を詰め込まれ、日韓基本条約(1965年)で、すべての戦後賠償は日韓政府の合意の下に終わっているにも拘らず、永久に日本に謝罪と賠償をしろと言い続ける。

しかし日本は戦前の朝鮮に、いったいどんな悪い事をしたというのか?

終戦直後に、GHQのメンバーとして来日した、ヘレン・ミアーズ氏が1949年に米国で出版した『アメリカの鏡・日本』(日本占領連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが日本での翻訳出版を禁じた本)という本の中で、日本の韓国併合のことが記されている。

一部を列挙してみよう。


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1894年7月29日、韓国駐在のシル米代表は次のように書いている。
……日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を中国の束縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国を安定した独立国にしようと考えている。こうした日本の動機は韓国の知識層である官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異論はないと思われる。

……こうした公式記録を見るかぎり、なぜ日本が韓国国民を「奴隷にした」として非難されるのか理解できない。もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。日本の韓国での行動はすべて、イギリスの同盟国として「合法的に」行なわれたことだ。

……1910年、日本が韓国を併合したのは、新皇帝が「請願」したからだった。

……明治二十九年(一八九六年)に朝鮮を訪れた英国のカーゾン卿は「朝鮮を日本が併合していれば、日本は混乱状態から新しい秩序を導き出せだのに、日本はそうしなかった。日本はこの気の狂った小さな舟(朝鮮)を極東の錨地につなぎ止めておく国際的な義務がある」と述べて、日清戦争後に日本が朝鮮併合を行わなかったことを「他国を気遣うあまりの失策」と批判しているぐらいである。

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当時の世界では、日本の韓国併合は合法的で、当然であり、朝鮮の独立の為に、日清-日露戦争を戦った日本に対して、まったく異論はなかったということだ。

また同書に記されている戦勝国である米国人、ヘレン・ミアーズ氏の見解(米国の視点)、および正しい歴史の参考動画を紹介したい。



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    『アメリカの鏡・日本』 (P250 ~ P259)
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アメリカの鏡・日本 新版
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ヘレン ミアーズ

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【第六章 合法的に行動すること】

2 韓国の奴隷化

日本の統治グループは、国内情勢を安定させるとただちに、教わったばかりの国際関係のテクニックを韓国で実践し始めた。

歴史的に日本は隣接する大国、中国を畏怖してきた。両国間で初めて締結された条約では、日本と中国はだかいに「特権」を求めず、対等の主権国家として認め合うことを約束した。

しかし、韓国は欧米列強だけでなく、日本と交渉を始めることにも抵抗していた。韓国は古くから中国の属国だった。

国を統治する王家はあったが、彼らは中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた。

しかし、日本は1869年、中国朝廷を迂回して、韓国に通商のための開港と、日本の鎖国政策で断絶されていた通商・文化関係の復活を働きかけた。

これに対する韓国の回答は、いまや日本は西洋列強と変わるところがない、そっとしておいてほしい、というものだった。

日本は、ペリーのように、辛抱強く、丁重で、執拗だった。

鹿児島や長州のような事件が起きた。日本は国際法を順守させるために砲艦を派遣した。1876年、日本は韓国を「説得」して数ヵ所の港を聞かせた。

そして、日本人は治外法権に守られて定住し、交易できるようになった。

欧米列強は反対するどころか、むしろこれに乗じ、若い生徒につづいて自分たちも特権を得た。

1882年までに、アメリカ合衆国、大英帝国、イタリア、ロシア、フランスが韓国に代表部を開いた。

日本はまだ欧米列強の半植民地国だったが、韓国では、後れた国民を近代化する役割を担う、列強と対等の「進歩的」勢力として認められていた。

欧米の進出が、日本に革命的状況をもたらしたように、韓国にも革命的状況がつくり出された。韓国の「進歩的」勢力の先頭には日本が立っていた。

当時、日本は進歩的勢力を代表し、中国は近代化に反対する保守勢力を代表していた。

韓国の最も戦闘的で「進歩的」な若い世代は、親日・反中国勢力になった。

欧米列強が日本の親欧派を支援したように、日本は韓国の親日派を支援した。

そして「事件」が起きた。

日本の侵略的行動を警戒する中国は、韓国の首都に駐在代表を派遣した。中国のこの動きは、当然、緊張を高
めた。

イギリスは日本の韓国での行動を、注意深くかつ好意的に見守っていた。

ロシアはすでにウラジオストクに根を下ろし、中国から満州横断鉄道の建設権を得ていた。1884年、韓国国王はロシアに軍隊の養成を依頼し、その見返りにポート・ラザレフ(訳注=永興湾)を海軍基地、石炭補給基地として提供しようとした。

これは日本、中国、イギリスを怒らせた。

日本と中国の抗議で韓国の申し出は実現しなかったが、イギリスは念を入れて、朝鮮半島の先端に近いポート・ハミルトン(訳注=巨文島)を占拠し二年間そこにとどまった。

こうしたことから、戦略的に重要な韓国は、力が弱いために基地と土地使用の要求を拒否できないことがはっきりした。

ロシアの領土的近接と満州への急速な進出は韓国にとって脅威だったが、それはとりもなおさず、イギリスと日本に対するさし迫った脅威として受け止められたのである。

韓国は中国の「属国」だから、中国に圧力をかけて譲歩を引き出すことができた国が、韓国での特別待遇を得られる。この状況では、イギリスと日本の「利害」は完全に一致していたといえる。

1893年7月16日(原文のママ、正しくは1894年)、日英両国は、イギリスが5年後に治外法権を放棄することを取り決めた青木・キンバリー条約に調印し、7月23日(原文のママ、正しくは8月1日)、日本は韓国の「独立」を勝ちとるためと称して中国に宣戦布告した。

日本からみれば、この戦争は完全な成功だった。西洋列強は喝采し、日本における彼らの「特権」を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。

日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本国天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。

日本は台湾と膨湖諸島を割譲され、西洋の合弁会社が高利で中国に貸した賠償金で金本位制についた。日本は中国本土の遼東半島で大きな租借地を得ることになったが、ロシアが強く反対した。

数年後、フランスとドイツに後押しされたロシアは中国との条約によってこの地域を領有した。

以後しばらくの間に起きた歴史的事件については、どんな教科書にも出てくる。日本が最初の教育で学んだことを知りたければ、欧米列強が中国で「割譲合戦」を演じていたこの時期がよく教えてくれる。

満州と沿海州にロシア、山東省にドイツ、華北、揚子江流域、香港にイギリス、雲南省にフランスというように、中国はいくつかの「勢力圏」に画然と分割された。

日本は韓国を手に入れ、福建省を確保したが、この地域では具体的開発に手をつけていない。

外国勢力の進出で、中国は混乱状態に陥った。義和団事件が起き、欧米列強と日本の連合軍に徹底的に鎮圧された。

いまや独立国となった日本は、イギリスの完全なるパートナーとして、西洋文明のために非文明の中国と戦って「立派な仕事」をしていた。

多くの国が中国割譲に殺到した事実は、極東に介入した超大国がイギリスとロシアだったことを不透明にしているが、両国が超大国であったことに変わりはない。

中国本土のイギリスと満州のロシアは、それぞれ鉄道建設、鉱山開発、工場建設などの大事業を着々と進め、経済権益を追求していた。

韓国の日本は小さい存在だったが、ライバルとしての力を貯えていた。日本は韓国と中国における彼らの「権益」はイギリスあるいはロシアの権益以上に、当然のものであると考えていた。

二つの超大国はいたるところに大きな権益をもっていたから、中国における彼らの行動はケーキ用のあわだてクリーム程度のものだったが、日本にとって、中国は生きるためのパンでありバターだった。

日本は競争相手の大国のどこかに助けてもらわなければ、自分たちの権益を確保できなかった。

日本にとって幸運だったのは、ロシアを押し返すという点では、イギリスと利害が一致していたことである。日清戦争後に締結された日英同盟は、やがて日本とロシアが戦うことを想定して、日本強化のために結ばれたものである。

1904四年、日本はロシアに宣戦布告し、再び「韓国の独立」のために戦うことになる。

日本が西洋に認められるうえで、日露戦争は有益な学習だった。文明世界は奇妙な小男たちの勇気と闘争心に仰天し興奮した。

彼らは民族衣装のキモノを着ながら、たちまちにして近代戦の技術を習得していたのだった。

1904年10月4日付のロンドン・タイムズの記事が、当時のイギリス人の反応を物語っているが、それはほとんどのアメリカ人が感じたことでもあった。

極東のこの戦争を取り巻く状況には注目すべきことが多い。中でもとりわけ目立つのは、ミカドの軍隊の勇気と戦いぶりである。われわれは、不本意ながら、日本のすべての人間のすべての行動を支配し動かす精神力の存在を認めざるをえない。……この力はいったい何なのか。その存在を感じると、妬ましく、落ち着かず、腹立たしくさえある。……勇気は西洋にとっても珍しいことではない。……が、これは単なる勇気ではない。その背後にもっと違う何かがある。もし西洋の軍隊がそれをもっていたら、西洋のすべての国の軍旗は絶対に汚されることはなかったろう。そういう何かである。これは何か。これは何か(この調子が延々とつづく)。

日本人が、欧米列強は必ずしも「平和愛好」国民であることを重要視していないと思ったとしてもおかしくない。

日露戦争は日本を「世界国家」に変えた。

この戦争で日本は旅順港を含む遼東半島のロシア領有地、ロシアの南満州鉄道、樺太の南半分を獲得し、アジア大陸に橋頭堡を築いた。

ロシアが大陸にもっていた諸権利の譲渡に関しては、もちろん条約に基づいて中国の同意を得ていた。

若い同盟国に、こういう問題は「法的に」処理しなければならないと教えたのはイギリスである。中国との間で締結された諸条約が、その後日本が満州に関して出す諸要求の法的根拠になっていった。(アメリカのフィリピン獲得について、ウォルター・リップマンが説明しているように)満州と遼東半島における「責任」を担った日本は、以後、「力の均衡をはかる」ことを義務づけられるのである。

ロシアと日本が和平交渉を進める過程で、イギリスは日英同盟を更新した。

新たな同盟関係では「韓国の独立」は忘れ去られ、その代わり、イギリスは韓国と中国における日本の「政治、軍事、
経済」権益を永久に尊重することを約束した。これに対して日本は中国とインドにおけるイギリスの永久権益の尊重を約束した。

日本がこの時代をどのようにみていたか、早稲田、法政両大学の国際政治学教授、信夫淳平博士は「近代日本に対する西洋の影響」の中で、次のように要約している。

日英同盟の主目的は、中国における英国の権益と、中国、韓国における日本の権益を第三国の侵害から守ることであった。日清戦争ののち、日英両国は共通の利益が極東において結びついているとの認識を得た。とくに英国は、義和団事件で日本が果たした優れた役割を通じて、日本の実力を認識したのである。英国は世界において外交的優位を維持するには「輝かしき孤立主義」以外のものが必要であることに気づき始めていた。そのため、同国はまずドイツに接近したが、成功しなかった。そこで英国は日本に目を向けた。日本もまた、極東における自国の権益を守るためには、英国と協力関係をもつことが最も有利であると考えたのである。両国の目的と意図が完全に一致して、同盟条約の締結にいたった。この同盟によって、日本はさし迫った対露戦争の勝利を事前に確実にし、他の勢力がロシアに加担するのを未然に防ぐことができた。この時代の外交史が明らかにしているように、日本が戦争目的を達成できたのは、英国と同盟していたからである。

こうした状況下で、アメリカの立場はどうだったろうか? 

もちろん、私たちも中国、韓国、日本との間で「和親」条約を結んでいた。私たちは表向きは中立だったが、実際行動では日本を支持することになった。

1894年7月29日、韓国駐在のシル米代表は次のように書いている。

……日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を中国の束縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国を安定した独立国にしようと考えている。こうした日本の動機は韓国の知識層である官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異論はないと思われる。

日清戦争が継続中の1894年、アメリカは治外法権をはじめとするすべての特権(特定関税制限を除く)を放棄する新条約に関し、日本と交渉し、日本を完全な主権国家として認めた。

日清戦争を終結させるための会談では、中国と日本にそれぞれアメリカ人顧問がついていた。会談終了後、日本の天皇は米大統領に親書を送り、東京と北京の米代表の協力に感謝している。

日露戦争では、米政府は日本を強力に支持していた。

セオドア・ルーズペルト大統領はロシアを説き、ニューハンプシャー州ポーツマスで日本と交渉する労をとった。

ルーズベルト大統領は、日本が勝っている段階で、しかも日本の不十分な戦備が底をつく前に、戦争を終わらせようとしたのだ。

ポーツマス会議の日本代表の一人、金子(堅太郎)伯爵によると(「現代の日本」 1932年9月号)、ルーズベルト大統領は、スエズ運河の東からカムチャツカの西までを範囲とするアジアを対象として「モンロー・ドクトリン」を宣言するよう日本に勧めたという。

西洋列強の租借地と植民地を除いて、中国での門戸開放政策を維持していこうというものだった。

日露戦争後、アメリカは「事実の論理」を認め、韓国から代表を引き揚げた。韓国皇帝はセオドア・ルーズペルト大統領に訴えたが、大統領は韓国は「自主統治にも自衛にもまったく無能力であることがはっきりした」として、介入を拒否した。

「その後3年の間に、現地情勢に詳しい外国人たちの称賛をかち得るような改善が数多く実現した」と書いたアメリカの歴史家もいるのだ。

1917年、ランシング米国務長官と日本の石井(菊次郎)元外相の間で交わされた協定で、米政府はとくに韓国と中国における日本の特権を認めた。

ランシング長官は次のように確認している。

合衆国政府と日本は、領土的近接が国家間に特別な関係を構成することを認める。したがって、合衆国政府は日本が中国に、とくに日本の租借地が近接する地域に権益を有することを認める。

こうした公式記録を見るかぎり、なぜ日本が韓国国民を「奴隷にした」として非難されるのか理解できない。もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。

日本の韓国での行動はすべて、イギリスの同盟国として「合法的に」行なわれたことだ。

国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行なわれたことである。しかも、その原則は日本がつくったものではない。欧米列強、主にイギリスがつくった原則なのだ。

日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。

第二次世界大戦後の日本は、自分たちは何のために戦ったか忘れてしまったかもしれないが、日本はとにかく当時の国際慣行を律義に守り、それにうながされて行動したのだ。

日本外務省が韓国の「対外関係と対外問題」を「管理統括」し、日本人の総督が韓国の首都で行政権限を与えられていたのはすべて、韓国政府と締結した条約にもとづくのである。

1907年、韓国皇帝はハーグの第二回万国平和会議(当時の平和愛好国の会議)に抗議しようとしたが、皇帝の特使は発言の機会を与えられなかった。そして皇帝は退位に追い込まれた。

1910年、日本が韓国を併合したのは、新皇帝が「請願」したからだった。

パールハーバー以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、といってほめるめだ。

トリート教授によれば、日本は「……一つひとつの手続きを外交的に『正しく』積み上げていた。そして、……宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである」。

事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手続きを踏んでいなかった。

日本の帝国建設について、フォーチュン誌は「19世紀の日本はヨーロッパ帝国主義を真似て、帝国主義にふさわしい力を得ようとしていた。そして、日本は西洋帝国主義列強の役をあまりに見事にこなした。だから、中国とロシアに対する日本の勝利は、あたかも西洋の勝利のようにみえた」と論評する。

いうまでもなく、これは「西洋の勝利」だったのだ。イギリスとアメリカの直接、間接の支援がなければ、日本は海外に遠征に出ても、一つの基地も固めることができなかったろう。

1937年の「日華事変」がいい例だ。

フォーチュン誌の論評の面白さは、戦争中のアメリカの評論家たちがこの論評の意味を見落としていることをはっきりみせてくれるところにある。

私たちは日本人を「コピー屋」と呼び、西洋を真似したと批判しながら、日本が国内制度や国際関係で失敗したのは、私たちの原則ではなく実際行動を真似したからだ、とは思っていない。

アジアの人々はこの点をよくみている。

たとえば、インド国民会議派の指導者、パンディット・ネルーは当時の日本について「日本は工業大国になった。そして、西洋列強の行動を真似して帝国主義的略奪国家になった」というのである。

アジアやその他の植民地、半植民地の人々の視点から見れば、「凶暴で貪欲」な帝国を建設した日本は、まさしく、新たな「略奪的西洋列強」だった。しかし、日本を「凶暴で貪欲」な国家と非難する私たちは、それを無視してきたのである。



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参考動画: 必見の動画 歴史の真実!

「日韓併合に際して」黒田 裕樹先生の歴史講座 1/4
http://youtu.be/YcKI9Zzs6Pc

「日韓併合に際して」黒田 裕樹先生の歴史講座 2/4
http://youtu.be/qG73lCyS7Kk

「日韓併合に際して」黒田 裕樹先生の歴史講座 3/4
http://youtu.be/w7jKLe-euew

「日韓併合に際して」黒田 裕樹先生の歴史講座 4/4
http://youtu.be/p4lQRtpku4c

日韓併合の真実 ― 韓国史家の証言    1/3
なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?
http://www.youtube.com/watch?v=9ATZG6pyY88

日韓併合の真実 ― 韓国史家の証言    2/3
なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?
http://www.youtube.com/watch?v=jbgbbXk0n1k

日韓併合の真実 ― 韓国史家の証言    3/3
なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?
http://www.youtube.com/watch?v=KR7z_-jagCE


Link:

リットン報告書
「リットン報告は驚くべき文書である。調査団が集めた事実を証拠としてつかえば、日本は中国を世界平和を乱した罪で告発できる。」
http://ochimusya.at.webry.info/201201/article_8.html

日本の満州建国は合法的
http://ochimusya.at.webry.info/201201/article_9.html

日韓併合の真実 Part 1
http://ochimusya.at.webry.info/200910/article_7.html

日韓併合の真実 Part 2 [海外の評価]
http://ochimusya.at.webry.info/200910/article_8.html

ブログテーマ 「日本人が知らない シリーズ」
http://ochimusya.at.webry.info/theme/57295fd580.html



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