世界が称賛 マルタ島の英霊たち

第一次世界大戦下の大日本帝国は、日英同盟に基づいて連合国の一国として参戦した。

イギリスによる派遣要請を受けた当時の大日本帝国海軍は、マルタ島での同盟国の輸送船の護衛と救助活動で、世界から絶賛され英雄となったという。

ちっと深イイ話が、ブログ「さくらの花びらの『日本人よ、誇りを持とう』」にあったので、そのまま転載させていただく。



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ソース: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」
[世界が称賛したこんなに勇敢で誇り高い日本人が居たという事実をもっと学んで欲しい。マルタ島の英霊たち。]
http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/30806548.html


画像



地中海にあるマルタ島。そのカルカーラの丘の英海軍墓地の一隅に、「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」が建っています。

なぜこんな遠くの地に、しかも墓碑までもが建てられたのでしょうか。

3人の共産主義者のセルビア青年がオーストリア皇太子夫妻を暗殺したサラエボ事件に端を発した第一次欧州戦争。オーストリアの同盟国はドイツなど。 これに対しセルビア側にはロシア、フランス、イギリス、イタリア、アメリカ、日本などの連合国が対峙しました。

この第一次欧州戦争でドイツはヨーロッパ戦線が膠着していたため、ドイツは地中海で潜水艦Uボートによる無差別攻撃を決行しました。そのため兵員などを輸送する連合国の船舶被害は激増しました。これに音をあげたイギリスは同盟国でもある日本に派遣を要請します。

我が国には大戦当初、支那の青島やマリアナ諸島方面に展開するドイツ海軍に対する作戦もあり、艦艇を地中海に派遣する余裕はありませんでしたが、連合国の輸送船を護衛するために、巡洋艦「明石」と駆逐艦8隻からなる第二特務艦隊を地中海に派遣することにしました。

日本の艦隊が現地到着した頃には連合国の艦船被害は甚大であったため、我が帝国海軍は長期行動であるにもかかわらず休養もないまま直ちに護衛任務を要請されました。

船舶の護衛とともに被害を受けた艦船の救助活動も重要な任務でした。

戦闘中の救助作業は自らを危険にさらすことでもあり容易なことではありませんでした。

また救助活動で多数の救助者が艦内に収容され食料や水はたちまち底をついたにもかかわらず、日本兵たちは自分たちの食糧はおろか、衣類や寝場所まで彼らに与え、自分たちは空腹と不眠のまま任務を遂行しました。

大正6年5月、我が帝国海軍の「榊」、「松」の駆逐艦2隻は、魚雷攻撃を受け沈没していく兵員輸送船「トランシルバニア号」の救援に駆けつけて、敵の潜水艦の目前で、しかも敵と戦闘しながら、なんと乗員約1,800名を救助しました。これは奇跡ともいわれるくらい常識破りの行為であり、帰港したイタリア・サボナでは帝国海軍の日本兵たちを英雄として大歓迎しました。

また、大正7年、駆逐艦「桃」「樫」は、魚雷を受け自力で航行出来なくなった英船「パングラス号」を不眠不休3日3晩、戦闘しながら、しかも潜水艦に襲撃される危険も恐れずに同船を曳航してマルタに無事届けました。
この快挙にマルタの町は感極まって日の丸で迎えてくれたのです。

同じ年、英船「カメロニアン号」にドイツ潜水艦が魚雷を発射します。帝国海軍は発見が一瞬遅れますが、日本の駆逐艦はそこに果敢に全力で突入して、自らが魚雷の犠牲となって輸送船を守ったのです。

これらのことにより帝国海軍は大きな信頼を得て、輸送船の船長の多くは帝国海軍の護衛を望み、日本艦隊の護衛でなければ出発しないという船長が出るほどでした。

この帝国海軍の奮戦振りにイギリスは「地中海の守護神」と称え、世界中からも称賛されました。

これら帝国海軍の活躍に対し、イギリス国王は日本の将兵に勲章を授与し、何と英国議会では議会始まって以来、日本語で「バンザイ三唱」までもが行われました。

これらの任務の中で尊い犠牲もありました。任務中の「榊」が潜水艦Uボートの雷撃を受け大破し、59名が帰らぬ人となりました。他の戦闘と併せて78名が命を落とされました。

しかし、この帝国海軍・第二次特務艦隊の栄誉と勇敢さが称えられ、大正7年にカルカーラの英海軍墓地内に大理石の墓碑が建立されました。これが「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」です。

その後、第二次大戦で、このマルタ島はドイツ空軍の猛烈な攻撃にさらされ、この時の爆撃でこの墓碑の「大日」の文字が吹き飛ばされ破損してしまいました。

終戦後、マルタ島に訪れる日本人も少なく、この墓碑は30年間壊れたままでしたが、昭和46年2月、当時の自衛隊・海上幕僚長が訪欧でマルタに立ち寄った時、あまりに破損がひどいので、外務省と協議して再建することにしました。

昭和48年11月18日に復元され、イタリア大使館主催で除幕式が盛大に行われました。

大正10年4月、皇太子であった昭和天皇が欧州ご訪問をなされましたが、まず真っ先に訪れたのがこのマルタの地でした。そしてこの墓碑にご参拝なされ、花輪を供えて英霊を慰められました。

この御心にきっと英霊たちも喜んだことでしょう。

この時、マルタの地では日章旗と皇室の菊の御紋であふれかえったといいます。

その墓碑が再建されたことをお聞きになられた昭和天皇は大変お喜びになられたそうです。 
 
『日本海軍地中海遠征記-若き主計中尉の見た第一次世界大戦-』の解説をしたC・W・ニコルさんはこう書いています。

「80余年の時を経て今、海上自衛隊がインド洋に派遣されているが、派遣の是非を論じる前に世界が称賛したこんなに勇敢で誇り高い日本人が居たという事実をもっと学んで欲しい」

彼はこの本の印税を全額マルタの碑の維持費に寄付しました。

この英国生まれのC・Wニコルさんは平成7年に日本国籍を取得しました。その理由をこう語っています。

「日本が私の家であり、もっとも愛する国だからだ。どの国にもまして私は日本でいちばん多くの時間を過ごしている。家族も友人も世界中にいるけど、私のいちばん親しい人たちはほとんどが日本人だ。

日本は私に衣食住を与え、移動を許し、私を守ってくれる。

こう言うと、よく『日本のどこがそんなにいいんですか』と尋ねられる。

そう聞くのはいつも決まって日本人だ。・・・

私はこれからも誇り高き日本人として、精いっぱい生きていきたい」と語っています。

マルタの土となった英霊はいまも祖国日本には帰っていません。

英霊たちは、もはや今の日本人は自分たちのことをすっかり忘れ去られているのかもしれないと、そういう思いだろうか・・。

遠い地の英霊たちは遥かなる祖国日本を、今の日本人をどんな気持ちで眺めているのだろう。



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Link:

インド映画 インパール作戦
http://ochimusya.at.webry.info/201206/article_15.html

台湾人と靖国神社
http://ochimusya.at.webry.info/200908/article_7.html

海の武士道
http://ochimusya.at.webry.info/200909/article_15.html

パラオ共和国と日本
http://ochimusya.at.webry.info/200908/article_25.html

ビルマ独立と日本
http://ochimusya.at.webry.info/200908/article_21.html

インドネシア独立と日本
http://ochimusya.at.webry.info/200908/article_19.html

インド独立と日本
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